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浦和学院・立教大で全国制覇 山根佑太が選んだ「プロより大企業より、ワクワクする方へ」

文春野球コラム ウィンターリーグ2017

2018/01/16

「野球のない生活は新鮮です」

 2017年の年の瀬に会った山根佑太の表情はとても晴れやかなものだった。

 高校野球ファンならご存知の方も多いだろうが、彼は2013年春のセンバツ甲子園で優勝を成し遂げた浦和学院の主将だ。立教大でも強打の外野手として、昨春に59年ぶりとなる大学日本一に大きく貢献した。

 だがシーズン終了後に野球部から発表された彼の進路には「カラダツクル」の文字があった。耳馴染みのない小さな会社である。大学時代に中心選手として活躍しながらも野球を継続しない選手もいるにはいるが、大手企業でもなく海外留学でもなく、この道に進むのはなぜなのか。

立教大で59年ぶりとなる大学日本一に大きく貢献した山根佑太 ©高木遊

甲子園制すも「プロは無理かな」

 広島県広島市の出身。言わずとしれた広島東洋カープの本拠地であり、当然ながら野球が盛んで、バットとボールを握るようになったのは幼少期。父がコーチをし、3歳上の兄も所属していた青崎小学校のソフトボールクラブの練習に保育園の帰り道に寄っていた。小学6年になると中軸打者兼エースとして全国大会で優勝。地域の精鋭を集めた選抜チームも出場する中、普通の小学校の単体チームで優勝を果たした。

 中学時代は、隣のマンションに助監督が住んでいた縁もあって中学硬式野球クラブの『ヤングひろしま』に入団。強豪として名を馳せるチームからも誘われたが、「練習の雰囲気が楽しそうだから」と先輩たちが2学年で12人しかいないチームに進んだ。それでも山根とともにソフトボール日本一に輝いたメンバーたちも同チームに進んだこともあり、夏にはヤングリーグの全国大会で準優勝。他の中学硬式野球連盟の強豪と「中学硬式野球日本一」を争うジャイアンツカップでも8強入りを果たした。

 高校はわざわざ広島までスカウトに出向いてくれた森士監督が率いる浦和学院に進学。練習の量や質は格段に厳しくはなったが、上下関係は厳しくなく「上級生が率先して動く」というモットーで充実した日々を送った。そして13年の春に日本一を達成。一方で、森友哉(大阪桐蔭→西武)を見て、「自分にはメチャクチャ何かがすごいというモノが無い。プロは無理かな」と悟ったという。