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阪神大震災から23年 オリックスの「がんばろうKOBE」はいまだ風化していない

文春野球コラム ウィンターリーグ2017

2018/01/17

 23回目のあの日がやってくる。

 1995年1月17日、兵庫県が、大阪府が揺れた阪神・淡路大震災。当時小学校2年生だった私もその時の様子を克明に覚えている。

 明け方5時46分、軽く家が揺れたと思ったら次の瞬間、棚の上からいろんなものが降ってきた。個人的におそらく初めて体験した地震。私が住んでいた大阪府堺市は震度5ほどだったらしい。インフラは無事だったものの、地面が割れ、小学校はヒビが入り、昔ながらの木と土壁でできた家は壊れるほどまでではないが崩れたりしていた。なんとか開店したスーパーが、棚から倒れて割れたドレッシングの臭いで充満していたことを覚えている。

 そしてニュースで神戸市の大惨事を知る。ビルや高速道路が倒れ、至る所から火が上がっている。時間が経つにつれ死者の数が増えていった。その数日前に家族で神戸に出かけていたのだが、行ったことがあるところが大変なことになっている。大きめの余震が何度もやってくる。その度に不安になった。

震災復興の象徴だったオリックス・ブルーウェーブ

 春になり、野球の季節になった。この年の主役は神戸に本拠を置いていたオリックス・ブルーウェーブだった。前年に彗星のように現れたイチローを中心にリーグ優勝を果たした。「がんばろうKOBE」のワッペンをつけた青いユニフォームはまだ野球のことを全然知らなかった私にも眩しかった。次の年にもオリックスはリーグ優勝し、そして巨人を破り日本一に輝く。彼らは「震災復興の象徴」と称えられた。

95年にリーグ優勝を果たしたオリックス・ブルーウェーブ ©文藝春秋

 それから23年。そのオリックスは大阪近鉄バファローズと合併し本拠地を大阪に移した。いつの間にか「がんばろうKOBE」も復刻ユニフォームでしか見られなくなった。2017年にはファームの本拠も寮も神戸から大阪の舞洲に移った。いろいろなことが23年間で変わっていった。

 23年経っても震災の記憶が風化することはない。おそらく17日の朝にはたくさんの人が神戸・東遊園地に集まり亡くなった方を弔うだろう。神戸育ちの妻は毎年追悼式の中継を見て涙する。「何年たっても忘れられないし辛い」と言う。あの時のオリックスは辛い思いを完全に消し去ったわけではない。それとは別に希望を生んだ。エネルギーを生み出した。

 その希望は神戸にまだたくさん残っている。そのうちの一つが私の息子がかかっている病院にあった。当時フィリーズに在籍していた田口壮のユニフォームとオリックスにいた辻俊哉のリストバンドと帽子が飾られていたのだ。