こうした男性講師の不義は残念ながらたびたび耳にするが、メンバーと同性ならばハラスメント行為がまったくないというわけではない。
ある女性指導者は、個人的な好き嫌いでメンバーの立ち位置を客席から見えない位置に変えたり、本来のレッスン時間をすべて説教に充てるなど、明らかに指導の適正範囲を超えた行動を取ると聞いたことがある。適応障害を発症するメンバーがあとを絶たない、という痛ましい状況も耳にした。
だが、被害者であるはずのアイドルたちは皆、最後に決まってこう言うのだ。「でも、本当にすごい先生だし、作品は好きなんですけどね」。
それを聞いたときの気持ちは、BBCが取材したジャニー喜多川氏による性加害の、被害者たちによるコメントを見た際のあのやるせなさに近い。顔や本名を出してまで被害について告白しているのに、「人としては好き」と主張する。それらは「明らかなグルーミング行為だ」と番組内で指摘もされていた。
“グルーミング行為”とは本来、子供への性犯罪において、犯人が巧みに被害者の心を掴んで接近する準備行為だといわれている。
しかし性加害でなくとも、芸能界、特に未成年や学生を多く擁するアイドル界では、こうしたグルーミングに近い行為が頻発しているように感じる。
夢や目標は人質になりやすい。志を持ったアイドルほど、“先生”に弱みを握られている状態だといってもいいと思う。
作曲家、作詞家、演出家、振付師、ボイストレーナー……どのポジションの大人に対しても「この人に気に入ってもらえたら自分の夢が叶えられるのかもしれない」と淡い期待を抱くのは無理もない話だ。
そして、「先生」と呼ばれるポジションの人間がそんな生徒の夢につけ込んだとき……本人や周囲も気づかないまま取り込まれ、加害が長期化することもあるのだ。
こうした対等とはいえない歪な関係や、存在の危うさを実感するたびに私は思う。「『先生』って、なんなのだろう」と。