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「漢文は社会で役に立たない」と切り捨てる“意識高い系”の勝ち組へ

あえて「ビジネスシーンで役立つ漢文」を考えてみた

2018/03/05
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(2)情報伝達コストを下げられる

 漢字は表意文字(表語文字)なので、ひらがなやカタカナよりも視認性が高く、単語が指す概念が感覚的に伝わりやすい。場合によっては、その単語を知らない相手にも、ある程度まで概念を伝え得ることすらある(たとえば「差遣」や「懇請」という言葉をはじめて見た人でも、なんとなく「人を使いさせる」「よくお願いする」といった大まかな意味の想像はつくはずだ)。

漢文や中国古典は、日本語や日本文化の基層の一部分を構成する要素なのだ。神保町の中国関連書籍専門書店「東方書店」(@tohoshoten)店内にて筆者撮影。

 一般的に聞き慣れない抽象的な概念を表現する際は特に、カタカナ言葉よりも漢字語のほうが意味を伝えやすい。一例を挙げるなら、「このワークショップへのサポート・プロジェクトはサスティナブルな社会をクリエイトする上でワイズ・スペンディングです」と言うよりも「この体験講座への支援事業は持続可能性のある社会を創出する上で賢明な支出です」と言ったほうがずっとわかりやすいわけである。

 上記は極端な例にせよ、カタカナ語を多用しすぎた「意識高い語」の連発は、情報の受け手に対して本来はまったく不必要な読解のコストを強いるため、労働生産性を無駄に引き下げる悪しき行為と言っていい。

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 ITなどの特定の業界のなかで使うならともかく、たとえば社風や業界内の風土が異なる複数の企業・行政などが関与するプロジェクトのなかで情報共有をする際は、漢語の語彙を積極的に使ったほうが認識の齟齬が生じにくく、効率的かつ経済的だろう。

 では、情報伝達コストを下げるという点で多大な経済的メリットを持つ、漢字の語彙をよりスムーズに運用できる基礎能力は何によって育まれるのか? それは漢文教育を包括した公的な国語教育の場に他ならない。

漢文を包括した公的な国語教育が意外なところで役に立つ ©iStock.com

(3)法的リスクへの対応力を強化できる

 私事で恐縮だが、私は人生で2回裁判に関係した経験があり(民事)、自分で長文の陳述書を書いたこともある。裁判所で飛び交う文書や法律の条文は、独特の漢語語彙と、やや特殊な漢文訓読調や古文調を感じさせる文章の洪水だ。

 正直、私は裁判所に通うときほど、自分が漢文や漢文法を知っていてよかったと思ったことはない……というより、これらを全然知らない人たちは裁判をやるときに不安にならないのかと本気で首を傾げさえした。

 裁判では、弁護士さんが交渉や意思表示をおこなう代理人になってくれる。だが、お堅い文書を読解して論点を把握し、意見を表明して事実関係を証明していく過程で、当事者たる自分自身がそのインプットやアウトプットの能力をまったく持たないでいいものだろうか。

 法廷の文書を読めず、また書けなければ、人生を左右する問題が目の前で進行しているのに自身はその議論から排除されるハメになる。一定の漢文の知識を含めた国語力は、望まぬ火の粉が降りかかったときに法的に自分を守れる武器と鎧になるのだ。

 ほかにも業務によっては、契約事にあたって戦前の文書を参照したり、過去の新聞記事などに触れざるを得ないケースもあるだろう。これらの文書で使われる単語や文章のリズム感は、漢文の書き下し文に近いものも多い。

 学術論文の読解や執筆も、漢語語彙の運用能力が大きなキーになる。これらへの入り口になる能力を強化するうえで、漢文の知識は持っている方がずっと便利だ。