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「もし父親が生きていたら『見知らぬおじさんと暮らす』なんて言えなかった」アイドルから作家の道へ…大木亜希子さんが経験した不思議な「同居生活」と“その後”

『つんドル』大木亜希子さん特別インタビュー #2

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 アイドルグループ「SDN48」の元メンバーであり、現在は作家として活動する大木亜希子さん。アイドル卒業後は一般企業に勤めていたが、ある日の通勤途中に突然、駅のホームから動けなくなってしまい、一時的なパニック状態と診断を受けてメンタルクリニックに通うも、やむなく退職。みかねた8歳上の姉からの提案で、当時56歳の中年男性・ササポンと“共同生活”をすることになった。

 その自身の経験を下敷きとする小説『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社文庫)が大ヒット。本作を原作とする同名タイトルの実写映画(主演・深川麻衣)が11月3日から公開される。

 今回は大木さん、シェアハウスを提案した大木さんのお姉さん、元家主のササポンさんの3人に、3LDKの一軒家での日々を振り返っていただいた。シェアハウスを終えた今でも、大木さんご一家とササポンさんは親戚のような付き合いを続けているという。“不思議な縁”が本になり、映画化まで。その軌跡とは、どんなものだったのか。(全2回の2回目/前編を読む)

(左から)ササポンさん、大木亜希子さん、大木さんのお姉さん ©橋本篤/文藝春秋

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「毎日泣いていた」家賃4万6000円のアパートから“見知らぬおじさんとの同居”へ

――大木さんはササポンさんと出会って「自然体でいられるようになった」とのことですが、当初ササポンさんと同居することに抵抗は感じませんでしたか?

大木亜希子さん(以下、大木) いえ、信頼している姉の紹介で身元もしっかりしていたので、抵抗感はありませんでした。立地もよかったですし。それまでは家賃4万6000円の風呂なしアパートに住んでいました。でも正直に言えば、当時は“詰んで”いたから、それどころじゃなかったんですよね。

――小説では「難しいことを考えるのが億劫になり」と表現されています。

大木 当時はいまより、かなり体重もありました。体は重くて常にダルいし、なんだか顔はむくんでいるし、貯金もないし、判断能力も落ちていて、自分でも「私、大丈夫かな?」とか不安になる余裕すらないというか。とにかく、このまま1人で住んでいたら孤独に苛まれていくばかりだなと。

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――お姉さんは「顔が灰色」と仰っていましたが、ササポンさんから見た当時の大木さんの印象は?

ササポンさん(以下、ササポン) いや、そんな感じではなかったかな。

大木 でも、当時働かせてもらっていた会社を退職してしまったばかりだったから、毎日泣いていましたよね、私。

ササポン あ、それは、うん。あったね。

©️橋本篤/文藝春秋

大木 「社会のレールからはみ出てしまったかもしれない」という恐怖や罪悪感でいっぱいでした。本当に“詰み”すぎてて、悲しくなくても涙が自動的に出てきてたんです。入居して最初の日、ササポンと一緒に近くの定食屋さんに食事に行ったときにも、泣いてしまったし。……リアルなことを言うと、そのとき残高は3万円しかありませんでした。映画では深川(麻衣)さんが「残高10万円」と言ってますが(笑)。このとき、姉に20万円ぐらい借金していた気がする。

大木さんのお姉さん(以下、姉) そうそう。

大木 Excelで返済計画表をつくって、毎月3000円ずつ返してました。

 たまに、少しでも遅れたりしたときには「まだか!」とか言って。