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苦労してたどりついた「書」をお仕事にするという生き方――書家・岡西佑奈インタビュー

「決まりごと」は気にしない。作品は絶えず「枠」を超えてゆく

2018/03/25

 精神を集中させるかのようにしばし留まっていた筆先が、おもむろに走り出す。瞬時にして、

「生」

 の1字が、紙の上に現れた。

周囲には徐々に「生」の字がたまっていく ©末永裕樹/文藝春秋

1文字に、人の一生のことを込められる

 和紙を取り替え、またひと息に書く。静まり返ったなかで、これを何十枚分も、延々と繰り返していく。

 東京・虎ノ門にある寺院「栄立院」堂内でのこと。書家・岡西佑奈さんが作品に取り組む様子を覗かせてもらった。

 次々に生まれる「生」の字は、1枚ずつずいぶん違う。線の太さ、勢い、かすれ具合、字の大小や傾き……。いずれもバラバラだ。

 それもそのはず、岡西さん本人いわく、

「1枚ずつ目指すところがまったく異なりますから。私は1つひとつの生の字によって、人の一生を書こうとしています。

 起筆は人が産声を上げた瞬間で、筆を進めるごとに人生が進展していくイメージ。ひっそりと生きる人なのか自己主張の強い人なのか、生き急ぐタイプかゆっくり歩む人かによって、書き方は当然変わりますよね。そうして筆を紙から離すのが、息を引き取るとき。そんなことを想いながら書いています。線だけでできた1文字に、一生分の長い時間を含ませられるというのは、書のおもしろさのひとつですね」

栄立院では「良い字が書ける」という ©末永裕樹/文藝春秋

 書き上げた膨大な書は、その名も《生》という作品としてまとめられることになる。

「人の煩悩の数である108枚を書いて、それらを丸めて1枚のキャンバスに貼り付けていきます。そのキャンバスの横に、渾身の『生』の書を1枚並べて掲げ、1対とするのが作品の完成形。

 作品を仕上げるときは、稀にいきなり書けることがあるとはいえ、たいていは幾枚も幾枚も試行錯誤した末にできあがるもの。膨大な思考を重ね、身体運動を繰り返すわけですが、そのプロセスも私にとってはたいへん愛おしいもの。最終的に到達したものだけじゃなく、そこへ至る過程も表現の一部にしたかったんです。人生だって到達点だけじゃなくて、その道のりも同じくらい大切ですものね」

「書はアートだと信じています」

 かようにつくり上げられる岡西作品は、白い紙にお手本通りの字を忠実に書くような、私たちがふつうに想像する書の作品とはずいぶん違ったものとなる。現代アートと呼ぶしかない様相を呈しているのだ。

国連ウィメン日本協会のアーティストを務め、UN WOMENイベントで書のパフォーマンスを行う

「はい、私自身も『書はアート』だと思っています。もちろん幼少時から書を学んできた者として、書の世界の伝統からは多大な恩恵を受けてきた立場ですけれど、だからといって表現のかたちまで縛られる必要はないと思うんです。『書』の新たな世界観を創造したいと考えています」

 それで岡西作品は《生》以外にも、書の範疇にまったく収まらないものが多くなる。

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