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スマホが手放せぬ常時接続時代に抗して哲学者・谷川嘉浩が提唱する「純文学のすすめ」 前編

スマホが手放せぬ常時接続時代に抗して哲学者・谷川嘉浩が提唱する「純文学のすすめ」 前編

谷川嘉浩さんインタビュー #1

2024/02/10
note

 谷川 はい、私もそう思います。短く効率よく、「こんなもんだろう」と次々に消費していける娯楽が、多くなっているのはたしかですね。人気のあるYouTube動画などは、マルチタスク的に消費できるよう工夫されていますよ。大して画面を見ていなくても何が起こっているかだいたいわかるような言葉選びで、全体の構成も単純で、わかりやすくて強い刺激が用意され、効果音やスキップ機能があったり、大きな字でテロップが出されたりしていますよね。

 

 漫画やアニメも広く人気を得るものは、たいへんわかりやすくつくられている。話題作となっているものは、非常にシンプルな物語構成です。敵と味方が明快で、強いヤツ同士が戦って、どちらかが倒れて……と、小学生でも無理なくわかる展開になっています。

 子育てで忙しい私の友人は、ある話題作のアニメを画面など一切観ず楽しんでいたそうです。セリフだけで何が起きているか、いまどんな心情なのか、すべてわかるようになっているので、何ら問題なかったとのこと。

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ハマってくると、読後もじんわり残る大きな楽しみが得られる

 娯楽を享受するハードルが低くなって、だれもが楽しめるというのはすばらしいことではあります。ただし、そうした娯楽作品が与えてくれる楽しみは、インスタントで長続きしない傾向があるのもまた事実で、長期的に積み上げていくような楽しみを得ることが難しいのかもしれませんね。

 長期的な楽しみをもたらす娯楽とは、たとえばJ・R・R・トールキンによる長大な小説『指輪物語』のようなもの。読み進んでも最初のほうは何も起こらなくて、正直に言えば少し退屈です。そのうちハマってくると、読後もじんわり残る大きな楽しみが得られることになるわけですが、ちょっと辛抱してじっくり付き合う姿勢が必要となります。

 長期的に残る楽しみの例を、もう一つ私の体験から挙げるなら、芥川賞作家・南木佳士さんの小説『ダイヤモンドダスト』がもたらしてくれたものがあります。

 東南アジアへ医療支援に出向いた医師が寒い土地へ帰ってきた。季節は冬を迎えるころで外気は寒いのに、自分の肌だけは東南アジアにいたころの体温を覚えてるかのように熱を帯びている。そんな冒頭の描写を、いつまでもはっきりと覚えています。

 気温と体温のコントラストを、自分だけ周りに取り残されているような孤独の表現につなげているのが新鮮でしたし、物語全体を象徴するような場面でもあることが通読すればわかります。

 最初にその文章を読んだ瞬間、熱狂したというわけじゃありません。でもこの表現は、いつまでも私の中に留まり残っている。こういう高揚感とは異なる、しみじみとした楽しみも、人間には必要じゃないでしょうか。

 常時接続の時代、短期的な楽しみ、すぐに得られる高揚は嫌というほど浴び続けるので、その裏で遠ざけがちな、長期的な楽しみ、しみじみと味わえる感慨のほうを、意識的に取り込むよう努めるべきかもしれませんね。

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