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祝2000本安打 内川聖一が横浜の星だったあの頃

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/05/18

 5月10日、YouTubeに一本の動画がアップされた。『HAMASTA 40th ANNIVERSARY special movie long ver.』と題されたそれは、4月の横浜スタジアム40周年記念イベントで流された映像のロング・ヴァージョン。1978年4月4日の記念すべき初試合に先発した斎藤明夫や当時の主砲・松原誠が横浜移転当初の歓迎ぶりを語り、他球団のコーチを務める田代富雄に石井琢朗、金城龍彦までコメントを残してくれた。

 特に98年の優勝を引っ張ったチームリーダーでありながら最終的に横浜を去った石井琢は「やり残したという気持ちはすごくありました」とヤクルトのユニフォーム姿で告白した。チームも琢朗も、ファンもみんなが苦しかったあの時代を知る人は、この時点で涙腺が潤んでくるのではないだろうか。

内川の心の片隅に残っていたベイスターズへの思い

 さらに驚いたのは、ソフトバンクの内川聖一が登場したこと。FA移籍して7年半が経ち、動画がアップされた前日に通算2千安打を達成した彼はこの夏36歳を迎える。昔はツルンとした卵型フェイスにギョロ目が印象的だったが、その目尻はやや細くなり、額や口元に年齢なりのシワが寄っているのを見ると、それからの月日の長さを否応なしに感じてしまう。それくらい、筆者の脳裏にはいまだに横浜ベイスターズ・内川聖一の姿が焼き付いている。

 ウッチーは映像の中で、FA移籍した当時をこう語る。

「本当は何も言わずに出ていくことが一番綺麗に出て行けたのかもしれないですけど、僕はどうしてもチームの状況を変えたかったですし、どうにかしたかったという思いの中で、思っていたことを全部言わせてもらってチームを出ましたので、あいつ好き勝手言いやがってというファンの方もいたかもしれないけど、そこに愛情があったからこそ、言わなくてはいけないと思っていた。でも今、チームが生まれ変わって日本一を争うようになってくれたことは素直に嬉しく思っています」

 さらには日本シリーズで古巣と戦ったことについても「僕らのときにはそういう環境にファンの方を連れて行くことが出来なかったので、嬉しかったですね」と笑顔で話すウッチー。まさかこんな日が来るなんて思わなかった。彼の心の片隅には、ベイスターズへの思いがちゃんと残っていたのだ。

 筆者は昨年ベイが日本シリーズに進出したことの意味の大きさを改めて感じた。ハマスタ40周年という区切りがあったとはいえ、昨年の躍進がなければホークスのキャプテンを務め、主軸に座るウッチーが横浜球団の公式映像に出演してあの頃を振り返るなんてことはなかったんじゃないか、と。

17年のCSで古巣・ベイスターズと対戦 ©文藝春秋

崩壊の一途をたどっていたチームの中で

 00年末、ウッチーはドラフト1巡目指名でベイスターズに入団した。翌年の開幕戦をテレビで視ていたらウッチーが代走で出てきた。高卒新人野手が開幕戦に出場する。それは十分にベイの未来を感じさせてくれる出来事だった。翌02年は22安打、打率.333。その年は3年目の古木克明が9本塁打を放ち、伸び悩んでいた25歳の多村仁志も5本塁打を記録する。遠くない将来、内川−古木−多村のクリーンナップがバカスカ打ちまくる。そう信じて疑わなかった。

 でもこの時期、チームは崩壊の一途をたどっていた。権藤博を切ってまで招へいした森祇晶監督はチームに合わず、特に02年は序盤から13連敗。『月刊ベイスターズ』には連載陣のひとりによる森更迭論が毎号のように掲載され、ついに9月末、森監督は契約途中で解任された。

 文字通り「そして誰もいなくなった」状態だった。あの歓喜からたった4年で佐々木主浩、谷繁元信、R・ローズ、進藤達哉、波留敏夫、駒田徳広、野村弘樹。中継ぎの島田直也に阿波野秀幸、五十嵐英樹もみんなみんな、チームを去ってしまった。後に残ったのは琢朗や鈴木尚典、佐伯貴弘らベテラン陣と、経験の少ないウッチーら若手選手だった。

 それでも02年のドラフトで村田修一、吉村裕基という屈指の長距離砲が入団する。首位打者獲得以降低迷していた金城は03年に復活。多村は04年に40本塁打を放って大ブレイクした。日々成長する生え抜き打撃陣の打ちっぷりを見るのは、この時期のベイファンにとってささやかな喜びだったのだ。そして、極め付けがウッチーだった。08年に一塁に固定されると打ち出の小づちの如くヒットを量産し、驚異の打率.378。あのローズをも上回る右打者最高打率をいきなり打ち立てたウッチーは、誰よりも頼りになるチームの星になってくれた。

低迷するチームの中で輝きを放っていた内川聖一(右) ©文藝春秋