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カープファンは他のチームのファンからどう思われているのだろうか

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/10/15

 今回、このタイミングで。書くべきことかどうか考えたが、やはり書くべきだろうと思ったのでコミッショナーに相談した。コミッショナーというのは本物のプロ野球のコミッショナーではなく、文春野球のコミッショナーである。いや、相談という言葉は違う。書いたほうがいいと思ったし、それが書けるのは文春野球カープの監督という立ち位置を任せてもらっている自分にしかできないと思ったので、気持ちは決まっていた。相談ではなく許可を求めたのであろう。

 コミッショナーから出た言葉は意外だった。それを待っていたという言葉であった。コミッショナーは以前からそこが気になっていたようであった。自分とコミッショナーは以前からの知り合いであるので言いやすかったはずだがそれでも言えなかった。それは彼がコミッショナーだからである。

 記そうと思う。いましか記せないことを。そして、二度とこうしたことを記すことがないことを願うものである。

この2、3年気になっていたこと

 居心地の悪さを感じたのはいつからだったろうか。そんなに昔ではない。最近のことだ。この2、3年のような気がする。

 いや、もっと前からだよと言う人もいるかもしれないが、そうかもしれないしそうではないかもしれない。他のチームのファンに対して違和感あるいは嫌な印象を持つことは誰にだってある。

 が、程度というものがある。その程度を越えて届き始めたのがこの2、3年のような気がする。4、5年かもしれないが、とにかくそんな昔の話ではない。

 カープが久々に優勝をした2年前。大差をつけてペナントを制した場合、悪役になってしまうことはあるだろう。それはわかる。だが、その雰囲気を越えていたと思う。

 気になっていた。

 だが、一部の過激な、過剰なファンというのもいるにはいるだろう。いや、もし、そうではなくて、全体的に奢っている部分があったとして。長年の鬱屈した空気が一種の怨念と化して表出したとしても。それは一瞬のことであり、陽のあたるところに出れば。太陽の光にさらされれば。サニーサイドに躍り出ればその瞬間に悪い夢のように一瞬で散って消えてなくなってしまうものと思っていた。

 さらには俺のことではないのだから。俺のことでもなければ、同じくカープを愛している知った顔。あの人この人。今回、カープ文春野球を組むにあたって招へいしたメンバーもそうである。俺たちのことではないのだから。

 一過性のもの。気にすることはない。たいしたことはない。そう思っていた。

連日満員のマツダスタジアム

カープファンはもしかしたら……

 だが、気にすることはない、と思う時点でおおいに気になっているのであった。

 そう。気になっていた。実は今回、このカープ文春野球の監督をコミッショナーから持ち掛けられた時点で気になっていた。ほかのチームのみんなと同じ場所に並ぶことが気になっていた。

 なにが? そこである。カープファンはもしかしたら折り合いが悪いのではないかということである。

 はっきり記すと言葉がきつくて、ニュアンスがきつく伝わるかもしれないが、無理に記すなら「カープファンは他のチームのファンから嫌われているのではないか」ということである。

 カープファンの中には自分と同じものを感じたことがあるひとがいると思う。けっこうな数、いると思う。そして傷ついたと思う。それがここ数年のことだ。

 文春野球コラムの初回に、自分はその対処法を遠回しに記した。野球は相手のチームがあって初めて成立するゲームである。好ゲームになるためには相手のチームも素晴らしくなければならない。お互いにお互いを尊重して思いやる。だから野球である。

 俺は。もう、一人称を俺と記すしかない。しっくりこないから。自分は、ではない。俺は、である。俺がその微妙な空気に気付いたのは数年前の神宮球場だった。