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レオの主力となった森友哉が、オリックス戦士だった真実

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/10/18

 プロ野球のクライマックスシリーズは、いよいよファイナルに突入しました。ポストシーズンへの参加を果たせなかったバファローズファンの皆さんは「今年の野球はもう終わった」だの、「俺には関係ねぇ」だの、「気持ちを切り替えて来季の西村バファローズに期待!」だのと、野球モードから離脱する日々を送っているかもしれません。

 しかし! バファローズゆかりの選手が戦っているじゃないですか。このクライマックスシリーズも。セ・リーグのファーストステージでは、坂口選手、大引選手、近藤投手を擁した2位・スワローズが、3位のジャイアンツにストレート負け(0勝2敗)しましたが、パ・リーグは首位でフィニッシュしたライオンズが、寺原投手のいるホークスとファイナルステージを戦っています。そして、ライオンズの主力である森友哉選手も、バファローズゆかりの選手なんです。

 えー? 森って、ライオンズの生え抜きじゃ……。

 そうです。森選手の経歴をみると、大阪桐蔭高校から2013年のドラフト1位で埼玉西武ライオンズに入団。純然たる、ライオンズの“生え抜き選手”です。ただ、人生にいろんなことがあるのは誰しも同じで、森選手は間違いなく「オリックス・バファローズ」のユニフォームに袖を通しているのです。

 ……小学生時代に。

小学生時代、バファローズジュニアだった森友哉 ©文藝春秋

バファローズジュニア時代の森少年

 遡ること11年。あれは2007年のことでした。3回目を迎えたNPB12球団ジュニアトーナメントで、当時、大阪の小学6年生だった森友哉少年は、バファローズジュニアの一員(ポジションは投手・捕手の二刀流)として背番号9を背負い、札幌の地で見事優勝を果たしたのでした。

 バファローズジュニアが栄冠に輝いたのは、後にも先にもその1回(昨年大会終了時点)。翌年の春、京セラドーム大阪での試合前に優勝報告をした際、メンバーの紹介アナウンスをした私は、とても誇らしかったのを憶えています。

 それから数年後、藤浪投手(現・タイガース)とバッテリーを組み、甲子園の大会で史上7校目の春夏連覇を達成した森選手が、あの時の森くんとリンクするのにさほど時間はかかりませんでした。やや小柄、がっちり型で全身をフルに使ったスイング。

 その年は結局、岐阜の国体でも優勝し、松坂大輔投手を擁した横浜高校以来、史上3校目の三冠を達成した森選手。その後も、チームを甲子園4季連続出場に導く原動力となりましたよね。

 プロ入りした森選手は「打てるキャッチャー」として、安定した数字を残し続けています。決して大きくない上背、ぽっちゃりした体を振りほどくようにフルスイングするバッティング。それに加え、今年はペナントレースの優勝争いの中、ヒリヒリする試合でマスクを被りながら、キャッチャーとしての経験値も大きく積み増したことと思います。

 そんな森選手のプレーで強く印象に残ったのが、京セラドーム大阪で開催された今年のオールスターゲーム第1戦。セ・リーグの先発は、ライオンズの大先輩でもある松坂投手でした。ともにドラフト1位でライオンズに入った者どうしの対決は、初回の第1打席。1-1からの3球目、レジェンドが投じて高めに浮いた135キロのカットボールを森選手は渾身のフルスイング。らしいバッティングから放たれた打球は、強烈なライナーとなってライトスタンドのポール際に消えていきました。まさに、ライオンが一撃で獲物を仕留めるような力強さ。

 ダイヤモンドを悠然と一周する姿を見ながら、かつて「Bs」のユニフォームを纏った森くんがこんなに立派になって……と、ジーンとしながらも「もし、LじゃなくBsのマークだったら、どうなってただろう?」なんて想像したりして。