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オウム真理教 なぜ“普通の若者たち”が“無差別大量殺人集団”になったのか

事実を正しく後世に伝えるために出来ること

2018/10/26

 満員の地下鉄内に化学兵器として使用される神経ガス・サリンを散布し一般市民の命を奪ったテロ、いわゆる「地下鉄サリン事件」は1995年3月20日に東京都で起きた。オウム真理教が一気に世間の耳目を集めることとなったこの事件から23年後の今年、2018年に主犯格とされるオウムの死刑囚13人の死刑が執行された。地下鉄サリン事件が起きるずっと前から「オウム真理教」に警鐘を鳴らし続けたジャーナリスト・江川紹子が『「オウム真理教」追跡2200日』『「オウム真理教」裁判傍聴記 1 2』『全真相 坂本弁護士一家拉致・殺害事件』の電子化に寄せて「オウム真理教」を振り返る。

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オウムの死刑囚13人の死刑執行

 2018年7月6日午前、麻原彰晃こと松本智津夫と6人の元弟子(早川紀代秀、井上嘉浩、新実智光、土谷正実、中川智正、遠藤誠一)の死刑が執行された。

麻原彰晃こと松本智津夫 ©共同通信社

 その20日後、林泰男、豊田亨、広瀬健一、岡崎一明、横山真人、端本悟の刑が執行され、オウムの死刑囚13人はすべて亡き者となった。

 私自身は、教祖の執行は当然のことと受け止めたが、弟子たちに関しては、教祖と同時、もしくは間を置かずに執行したのは残念に思った。

 これでは、後継団体が「尊師」が縁の深かった弟子たちと共に旅立ったという物語を仕立て上げ、教祖への忠誠心を強化するのに利用しかねない。

 それに、いくつもの凶悪犯罪の首謀者であるばかりか、自身の手は汚さず、自分を信頼して集まってきた弟子を殺人者にした麻原と、その手足となって実行した弟子とでは、責任の重さは天と地ほどにも違う。やはり麻原は1人で先に逝かせるべきだった。

 弟子の中には、麻原を盲信した自身を見つめ直し、深い悔悟の中にある者もいた。そうした人たちは、執行を急ぐよりも、このようなカルト事件をくり返さないための、生きた教材、研究素材として活用する道もあったのではないかと思う。

1984年「オウム神仙の会」を立ち上げ

 麻原は1984年に、ヨガのサークルとして「オウム神仙の会」を立ち上げた。早い時期から、戦いによって自分の王国を作る夢を抱いていたようである。1985年にはオカルト雑誌で、「神軍を率いる光の命(みこと)」になるよう、神託を受けた、と書いている。87年初めには、殺人を容認する説法を行い、同年7月に団体名を「オウム真理教」に変更した。

 この時期の弟子たちは、殺人容認の説法は修行の厳しさを表す一種の比喩と受け止め、実際に殺人を犯す集団になるとは夢にも思わなかった。ところが、それは単なる喩え話ではなく、現実のものになっていく。

 教団として最初の犯罪は、1988年9月。教団の道場で、修行中に暴れ出した在家信者を、出家信者たちが風呂場で頭を水に浸けて死なせてしまい、その後遺体を焼却して遺棄した。教団は宗教法人認証の申請中で、信者の死亡が警察沙汰になって申請が通らないことを恐れた麻原の指示だった。

 その翌年、この最初の事件に関与した出家信者が、脱会しようとしたため、事件の発覚を恐れた麻原が信者たちに殺害を命じた。これが、最初の殺人である。

 しかし、ここまでは麻原の思惑通り、社会が事件を知ることなく、宗教法人の認証もなされた。