コミックエッセイ『ありがとうって言えたなら』で、決して仲が良かったとは言えない母との別れを真正面から描いた漫画家の瀧波ユカリさん。すい臓がんで余命1年と診断された母との最期の時間、「娘」として何を考え、どう行動したのか。お母さまのすい臓がん発覚から亡くなるまでの日々についてお聞きしました。

瀧波ユカリさん

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母は、実はそんなに強い人じゃなかった

──瀧波さんにとって、お母さまはどんな存在でしたか。

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瀧波 見かけ勝負の仕事をしていたわけでもないのに、とにかく見た目が派手で、どこにいても目立つ人でした。見かけだけでなく話し方もインパクトがあって、言いたいこともはっきり言うので、昔から家族はみんな苦労してきました。

──離れて暮らすようになって、母娘の関係性は変わりましたか。

瀧波 ずっと母のことを「死に神すら尻尾を巻いて逃げる強い人」だと思っていたんですけど、離れて暮らすようになって、実はそんなに強い人じゃなかったんだということが少しずつ分かるようになってきました。父が亡くなった後は、一人で暮らすのを寂しいと感じていたみたいですが、言わないので分からないんですよ。「遊びに行きたい」としょっちゅう電話かけてくるくせに、肝心なことは言わなくて……。

 

現実は、テレビドラマのようにはいかない

──がんを告知された後のお母さまの反応はいかがでしたか。

瀧波 がんになる前は「私は自分が病気になったらすんなり受け入れるわ」なんて言っていたくせに、いざ、すい臓がんになって余命1年と言われたら、自分ががんだということを受け入れられなくてガチガチに心を閉ざしてしまった時期があって。「あれ?」と思いました。

──想像していた反応ではなかった? 

瀧波 テレビドラマなんかのイメージだと、余命を知らされたことで人に優しくなったり穏やかに余生を過ごしたりしますよね。だから母も、病気になってあと1年と言われたら「じゃあ1年間楽しもうか」というような切り替えをして、一緒に買い物や散歩に行ったりして静かな日々を過ごすのかと思っていたんです。実際は全然そんなことはなかったので、ああ違うんだ、という感じでした。

──病気になったからといって、人格が変わるわけではないのですね。

瀧波 そうですね。母は昔から「私を見て」みたいな部分があって、良くも悪くも我が家は母を中心に回ってきたので、病気になって「本当はこうしてほしい」みたいな気持ちを、「話を聞け」「あれしろこれしろ」みたいな言い方でしか表せなかった部分はあったのかもしれません。