邪馬台国は「3世紀の明治維新」だ 徹底討論

保立 道久 東京大学名誉教授
寺沢 薫 桜井市纏向学研究センター所長
倉本 一宏 国際日本文化研究センター教授
ライフ 歴史

畿内説と九州説、どちらが有力? 卑弥呼とは何者か?

奈良県桜井市の箸墓古墳 ©文藝春秋

 寺沢 お二人とも、本日は暑い中、奈良までようこそお越しくださいました。私はここ奈良に40年以上住んでいますが、奈良盆地は四方を山に囲まれて風が通らないため、夏は暑いですが、冬も寒いんですよ。

 倉本 今年は酷暑ですね。

 保立 私は早めに来て自転車で飛鳥に行き、聖水の儀式のために使われたという亀形石を見てきました。熱中症になりそうで、博物館でアイスクリームを食べました(笑)。

 私たちが奈良に集まった理由は、「邪馬台国」と日本の古代に関する座談会をするためです。3世紀の日本列島に存在した邪馬台国の基本史料は、言うまでもなく『魏志倭人伝』です。この国がどこにあったかの論争が長く続いていますが、歴史学界では、そろそろ結論が出そうな雰囲気です。歴史は分からないものだという後ろ向きの感じ方をなくすためにも、徹底的に議論したいですね。

 大きいのは、奈良の桜井市にある「纏向(まきむく)遺跡」の発掘調査が進んで画期的なことがいくつも分かったことです。寺沢さんは纏向遺跡の考古学の発掘調査に長年関わってこられ、「纏向遺跡こそ邪馬台国の王宮都市である」と述べられています。倉本さんは古代の文献史学の立場から、「邪馬台国は九州にあり、纏向が倭王権の王宮であっても、これとは関係がない」という御主張です。私は中世が専門ですが、最近は地震・火山論をやる関係で、古代神話も研究し、邪馬台国にも関心を寄せています。本日は異なる立場から、自由闊達な議論をしたいと考えています。

 倉本 まず議論の前提となる文献、『魏志倭人伝』をおさらいしておきます。『魏志倭人伝』は、正式には「『三国志』魏書『烏桓・鮮卑・東夷伝』倭人条」といい、3世紀末に編纂されました。魏・呉・蜀の3国のうち魏に関わる夷狄列伝の一節です。編者は陳寿。なお編纂段階で、呉と蜀に関する原史料はほぼ廃棄されています。ここが大事なところです。本書の中で、邪馬台国は魏王朝と外交関係を持ったおおよそ「30国」からなる連合体の盟主という位置づけになっています。

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source : 文藝春秋 2018年09月号

genre : ライフ 歴史