日本を代表する「適当男」高田純次さんが、真面目に語る! 柄本明さんたちとの知られざる“演劇人”時代の思い出、演劇からテレビの世界に移った40歳の決断。聞き手は演劇史研究者の笹山敬輔さんです。(全3回インタビューの1回目/#2に続く)

高田純次さん、71歳

きっかけは『マクベス』だった

―― 今日みたいに晴れている日は、やっぱり『じゅん散歩』日和ですか?

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高田 そうそう。雨の日のロケだと通りすがりの人に声をかけても反応悪いのよ。

―― 「どうも、東方神起です」と声をかけたり、“高田純次と名乗らない”高田さんの真骨頂は朝のお散歩番組でも発揮されてますもんね。でも、高田さんはもともとアングラ演劇出身の「演劇人」。まずは、その知られざる「真面目な高田純次」時代についてお伺いしたいと思っています。

高田 何でも聞いてください。一応、僕の肩書きは「舞台俳優」ということになってるから(笑)。いやいや、正直なところ僕が演劇についてどうこう言うのは、おこがましいんだけどね。

―― と仰いますが、高田さんと演劇の出会いはシェイクスピアの『マクベス』。これをアングラ劇団・自由劇場が上演したのを観たのが、演劇の世界に入るきっかけだったとか。

高田 45年前だから25歳くらいか。六本木の劇場で、串田和美さんが演出。吉田日出子さんや佐藤B作さんが出てました。

 

―― どうして観に行こうと思ったんですか?

高田 僕、デザイン学校を出てるんですよ。その縁で、小劇場で芝居をやってる先輩からポスター描きを頼まれたことがあって、その人に『マクベス』に行こうって誘われたの。初めて観た生の演劇には圧倒されちゃいましたよ。小さな劇場の中をみんなが汗だくになって飛んだり跳ねたりしてたのが、とにかく面白かった。『マクベス』なんて読んだことなかったけど、読んでみたいと思ったほど面白かった。

即興芝居ばかりやってました

―― その興奮のまま、養成所の試験を受けたそうですね。

高田 ちょうど自由劇場が「麻布アクターズジム」という養成所をつくって1期生を募集していたんですよ。

―― 柄本明さんやベンガルさんと出会ったのは……。

高田 ベンガルや綾田俊樹とは研究生の同期。柄本は、金子信雄さんの劇団「マールイ」の劇団員だったときに声をかけられたみたい。イッセー尾形くんも特別に呼ばれてました。吉田日出子さんはもう雲の上の人だよね。吉田さんが稽古場に来ると、空気が引き締まりました。あと面白いのは、一つの劇団の中に演出家が何人もいたことですね。串田さんのほかに、劇団「雲」にいた森田雄三さん、劇団「ザ・スーパー・カムパニィ」でミュージカルをやってた竹邑類さん。

 

―― 串田さんと吉田さんは文学座にいた方ですし、劇団「雲」は福田恆存が文学座のメンバーと結成した劇団です。自由劇場は、新劇・アングラ・ミュージカルといろんなジャンルの人が混じりあっていたんですね。

高田 実は僕も一回、文学座を受けたことがあるんですよ。自由劇場に入るずっと前にね。全然ダメだったけど。

―― あっ、そうなんですか! 高田さんと文学座の組み合わせは意外ですね……。文学座と自由劇場では、芝居の作り方、俳優の育て方が全然違いますでしょう?

高田 自由劇場の養成所では、即興劇をやることが多かったです。台本はなし。「刑事と犯人」みたいな設定だけ与えられて、「2人で組んでこのシーンを作ってこい」みたいな宿題が出るんです。だから研究生だった1年間は、ずっと即興芝居ばかりやってました。