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「すごく窮屈でねえ……」“アンチ広島”だった少女が“熱烈カープファン”になるまで

映画監督・西川美和『遠きにありて』刊行インタビュー

 大学在学中から映画の現場に入り、2002年に初監督作『蛇イチゴ』で鮮烈なデビューをかざると、『ゆれる』(2006)『ディア・ドクター』(2009)『夢売るふたり』(2012)『永い言い訳』(2016)とオリジナル脚本の作品を丹念に作り上げ、人の心の底に沈み込んだ感情を浮上させ、フィルムに焼き付けてきた。現代日本を代表する映画監督のひとり、西川美和さん。その彼女にとって、唯一の趣味、ともいえるものがスポーツ観戦であることは、あまり知られていない。

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スポーツ観戦は純粋なる楽しみ

西川 スポーツ、好きなんです。観るのが。もしも今、この世の中からスポーツ観戦がなくなってしまったら、ちょっと何を楽しみに生きて行ったらいいのかわからなくなりますね。あとに残るのは……私の場合、もう生きていくためのタスクだけでしょうね(笑)。映画を観るのも小説を読むのも、自分が昔から好きだったことはこの職業を選んだ時から全て仕事のための勉強材料のようになっていきました。何に触れても、そこから何を取捨選択して自分のものにするか、と常に張り詰めてしまうようになってしまった。もちろん、好きなものは仕事になってからがぐっとコクが増してくるわけで、本気で取り組まなくてはならないタスクの中にこそ人生があるんですが、でも、スポーツ観戦で得られるのは、それとはまったく違うもの。純粋なる楽しみです。

誰の目にも明らかなゲームの勝敗

《自分の職業にはないものが、スポーツにはある、という》

西川 映画や文学、アートみたいな表現は、価値基準がはっきりしないところがいいところだと思っています。いずれも点数評価にはなり得ないし、勝敗では計られないから豊かなのだと。誰が何をどんな風に好きでもいいし、むしろバラつきがあってこそなんです。反面、作り手としてはその豊かさに甘えているところもあって、作品の出来・不出来についてもなんとなくゆるくごまかせてしまう。「わからないやつにはわからない」みたいな理屈に逃げたり。でも、スポーツにはそのゆるさがない。ゲームの勝敗の結果は誰の目にも明らかで、その厳しさに、永久に畏れと憧れをもっているのだと思います。

映画監督・西川美和氏 ©釜谷洋史/文藝春秋

肉体も酷使し、人格さえもジャッジされる

 たとえば私は脚本を書き、監督をして、内面をさらし、全てを背負っているように見えるかもしれません。でも映画の中で肉体をさらし、テーマをその顔で語ってくれるのは私ではなく俳優です。同時に俳優は俳優で、「監督の演出なので」と、作品の批評からするりと逃げることもある。1人ではできない仕事であるがゆえに、みんなで責任を分散しているような、心理的に楽な部分もあるんです。一方で、アスリートは自分が作り手であり、肉体も酷使し、そして近頃は内面のあらわれである言葉でさえも厳しく世間に評価され、人格さえもジャッジされていく。本当に大変な仕事だなあ、とつくづく思います。

 競技者として高いレベルで戦っている選手が、真剣勝負のなかで追い詰められ、観られていく。栄光もあれば、挫折もある。それを観ていると、自分たちが応援しているようで、逆に自分たちがそういう存在に「お前ももっと踏ん張れるだろ」「今が耐える時だ」「ほら、いいことあるだろ」と様々に応援されている、という感じがしてくるんです。