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さよなら、夕張線 「赤字を出し続けた」ローカル線、最後の旅へ

120年以上の歴史に幕

2019/02/04

genre : ニュース, , 社会

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夕張炭鉱から石炭を運ぶために作られた

 南清水沢駅を出たら、すぐに列車は次の駅につく。清水沢駅。古びた木造駅舎から少し長めの通路を通ってホームに向かう。その先にも広大なスペースが広がっていて、線路はないけれどかなり大きな駅だという印象を抱く。

 もともと夕張線は、夕張炭鉱から産出された石炭を運ぶために建設された。開業したのは1892年。当時はまだJRどころか国鉄でもなくて、北海道炭礦鉄道という私鉄の路線だった。この会社の名前からも夕張線に求められていた役割が何だったのかよくわかる。そして清水沢駅の広大な敷地も、かつての炭鉱路線としての栄華を偲ばせるものなのだ。清水沢駅には貨車を操車するための側線がいくつも設けられていて、さらに三菱大夕張炭鉱に向かう路線も分岐していた。夕張炭鉱の衰退とともにこの路線は姿を消し、石炭輸送という役割も終えて清水沢駅の側線も役割を終えたが、その名残が広大な駅の敷地なのである。

 清水沢駅から次の鹿ノ谷駅までの間には、鬱蒼とした森の中を走って夕張線で唯一の短いトンネルも抜ける。が、トンネルを抜けても町の様相は変わらず、鹿ノ谷駅も広大な側線があったことがうかがえる広い駅。でも、今では鉄道ファン以外が駅で列車を待つようなことはほとんどない。

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清水沢駅から鹿ノ谷駅までは森の中を走る

夕張の町の中心は夕張駅から離れたところに……

 そしてすぐに終点の夕張駅へ。途切れたホームの先には三角屋根の小さな駅舎があって、中には喫茶店も入っている。駅舎の隣には屋台村のような建物があり、そこでは夕張名物の“カレーそば”をいただくこともできる。さぞかし賑わっているのだろうと覗いてみても、そこにいるのは夕張線との別れを惜しむ鉄道ファンばかり。駅の裏手にある大きな建物はリゾートホテル「マウントレースイ」。こちらもスキーを楽しむ人のための施設だから、まあ地元の人の姿はあまり見かけない。

 というのもワケがあって、夕張の町の中心は夕張駅から少し離れた北にある。かつての夕張駅ももっと北の夕張炭鉱の入口近くまで伸びていた。ただ、夕張炭鉱が役割を終えると石炭を運び出す駅としての意味も失い、1985年に夕張駅は町の中心の市役所近くに移転したのだという。このとき、すでに夕張線の本来の“石炭を運ぶ”という役割は捨て去ってしまったのだ。そして1990年にはホテルマウントレースイへのアクセスを考えて、今の場所に移転した。その時にも「路線を短縮させるのは廃線につながる自殺行為」という反対の声が上がったという。ただ、それでも“リゾートホテルへのアクセスを優先”という市の方針が貫かれた。

夕張線終点の夕張駅
こちらが夕張駅の駅舎。後ろの建物がリゾートホテル「マウントレースイ」
夕張の市街地。夕張市の人口は8000人程度