人類で初めて月面に降り立った男が主人公の物語、となれば、何らかの英雄譚を期待しない方がおかしいだろう。しかしこの映画を見おわった際の余韻は、「大作」というよりも、むしろ、人の心の繊細な動きに焦点を当てた小品の与えてくれる感銘に近い。
ライアン・ゴズリングが体現する「喪失の哀しみ」
アポロ計画という人類史上でも特筆するべき巨大プロジェクトを舞台としているにもかかわらず、少数の演奏者によるとぎ澄まされた室内楽のような、簡潔で心にしみ入る作品に仕立てあげた作り手たちに、惜しみない賛辞を送りたい。そのアンサンブルの中心にいるのが、主演のライアン・ゴズリングだ。「ラ・ラ・ランド」のジャズピアニスト・セバスチャン、「ブレードランナー2049」の人造人間・K、そして今作の宇宙飛行士ニール・アームストロング――。ゴズリングの演じる主人公たちは、「喪失の哀しみ」という共通のモチーフを切なく奏で続ける。
作品の冒頭、ニール・アームストロングは対照的な二つの顔を見せる。宇宙飛行を目指す前段階の超音速実験機に乗り込み、命懸けの飛行を繰り返すテストパイロットとしての顔。そして、病魔に取り憑かれ、放射線治療の副作用で嘔吐する2歳の娘の背中を優しくさすりながら「だいじょうぶだよ」と繰り返す父親としての顔。
この二つの顔は本人の内面でどのように絡み合っているのか。
観客がそんな疑問に思いを馳せる暇もなく、画面は無情にも、小さな棺が土の中に納められる様を映し出す。しかし、ニールは娘の葬儀の間もほとんど表情を変えず、妻のジャネットと悲しみを分かち合うわけでもない。彼がようやく自らの内面をさらけ出すのは、たった一人になった時だ。ニールは嗚咽する。人は本当に大切な存在を失った時、こういう泣き方をするのだ――。
ゴズリングの演技は、実人生で深い喪失感を味わったことのある者であれば、誰もがそう納得せざるを得ない域に達している。そして思い至るのだ。「この作品の主人公は莫大な量の感情を抱え持っているにもかかわらず、それを他人と共有する術を知らない。その欠落は、この男の人生に濃い影を落とさざるを得ないだろう」と。