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文豪的な活動をしていないので、どうも慣れない谷崎潤一郎賞受賞。でも、表面でそう思っただけで、本当は「ヤッター」みたいな感じです(笑)――長嶋有(前編)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー「作家と90分」

2017/01/28

genre : エンタメ, 読書

note

「地味な女シリーズ」の中で派手な女も書こうと思ったけど、書けなかった。派手な人が便座に座った、みたいなことが書きたいから。そういうのが真骨頂(笑)。

――さて、長嶋作品といえば、いろんな固有名詞が出てくることもよく指摘されますが、ご本人はよく「そこばかり言われるのもつまんない」って言ってますよね(笑)。

長嶋 そうなんだよ。こっちはこの世界に固有名詞があふれているから使っているだけなのに、っていう。

――でも芳香剤の「ポピー」とかお菓子の「しるこサンド」とか、「ああ、そういえばそういう商品あった!」と思わせるアイテムの選び方がうまいじゃないですか。つい反応したくなる。『三の隣は五号室』でもフィリックスとか。商品だけじゃなく、ドラマの「空から降る一億の星」とか。

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長嶋 そのドラマと一つ前のキムタク主演作「眠れる森」は珍しく、この小説のために観なおした。日本人の50年史のうち、キムタクは20何年か通用する固有名詞でしょう。時間の経過のなかで、見え方がちょっとずつ変わったり変わらなかったりする感じが、タモリなんかよりもあって。歴代住人が何かひとつのものについて思うことの変遷をやるのに、キムタクがちょうどいいと思ったの。「眠れる森」が放送されていた頃はシヤチハタに勤めていたんだけど、ある日女子社員がドラマの犯人について推理してぺちゃくちゃ喋っていたところ、僕の上司のおじさんが急に口をはさんで推理を披露してみんなに「それだ!」って感心させたことがあったの。っていうかあの人あのドラマ見てるんだ……みたいな。普通上司は「そろそろ私語は慎んで」と言うべきタイミングでさ。

――同じシーンが小説の中で再現されていましたね(笑)。

長嶋 そう、それをやりたかったんだよね。だってそこだけ、5号室から離れた職場の話だもん。キムタクをキーワードに選んだのも、実はその場面を書きたかっただけのことかもしれない。

――でも固有名詞を出すといっても、明らかにそれと分かるのにパピコは明記されていませんでしたね。

長嶋 しるこサンドのように妙に喜ばれちゃうと、なんか小説そのものを褒められなくなるから、人が喜びそうな名詞は外したんです。「しるこサンドが出てきた、ヤッター!」みたいな褒められ方はすごく嫌。しるこサンドは人に勧められて「いらない」って、作中の人物に否定されるものとして出しただけ。僕自身にしるこサンドへの思いは全然ない。

――ちなみにしるこサンドは『愛のようだ』に出てきたものですが、私は読んだ時に「あ、そういえばしるこサンドってなんだっけ」と思って、検索したんですよ。すぐ思い出せないけれど、記憶のどこかに残っているような、そういうアイテムの選び方が絶妙だなと思って。

長嶋 選び方を褒められるのは嬉しいのよ(笑)。でも自分では、自分が懐かしいから選んだとか、そういうことは全然ない。ドラマにしたって内容が面白かったから採用したんじゃなくて、当時の景色としてあったものだから使っただけだし。広義でいうと、そういうものを景色として肯定しているのは確かだけど。あ、でもフィリックス君ガムについては、喜ばれちゃうことの懸念よりも、フィリックス君の顔が変わったということを言いたい欲のほうが勝ったな。いや、どちらかというとソニーのブラックトリニトロンというブラウン管テレビのコマーシャルのフィリックス君が可愛くて、ガムよりそっちが言いたかったのかも。ソニーが輝いていた時代だよね。

――そういう固有名詞とか、電化製品とか、定点観測だとか、登場人物の多さといった長嶋さんのエッセンスが詰まった作品が『三の隣は五号室』ですよね。それと、さきほどの男子学生を出したら女子学生も出すというお話を聞いて、さっきふと思ったのですが、「対」ということも意識されていませんか。『猛スピードで母は』(02年刊/のち文春文庫)でお母さんの話を書いたら『ジャージの二人』(03年刊/のち集英社文庫)でお父さんのことを書くとか、『夕子ちゃんの近道』で夕子ちゃんを出したら朝子ちゃんを出すとか、短篇集『祝福』(10年刊/のち河出文庫)では男性主人公の白組対女性主人公の紅組という構成にするとか……。

長嶋 はじめてそんな指摘を受けるけれど、そうかも。確かに、男主人公ばかり書いていたらクサクサするから、女主人公を書こう、ってなるもの。今、「地味な女シリーズ」というのをあちこちで書いているんですが、短篇集にまとめる時にそのままだと地味だから、地味な女を5作書いたら派手な女シリーズを書こうと思っていたの。でもね、僕ね、派手な女を書けないんだよ!

 派手な女って、見た目が派手だとしたらそう書くことはできるけれど、その人の楽屋裏みたいなこと書いたら、それは地味になるじゃん。派手な人がトイレの便座に座った、みたいなことが書きたいわけだからさ。そういうことが真骨頂だからさ。

――それが長嶋さんの真骨頂。

長嶋 本当に派手なとこに寄り添おうとすると僕の場合、札束風呂みたいに安直なものになってしまうだろうしね。「女は今日も札束風呂であった。」(笑)。

 それに、何が派手かは主観というか定義の問題だから、どんな人が派手な女なんだよっていう疑問もある。だからこれは対にできなくて、地味な女シリーズで出すしかない。でも最後の最後で無理矢理派手な女を書こうかなと一応は思ってる(笑)。二個公平にできないのに公平たらんとする運動をしているという指摘は、鋭いかも。

――たまたま思っただけなんですけれどもね。

◆ ◆ ◆

※「白血病で死ぬなんて安直な小説は書かないぞ、と思っていた。でも、白血病で死ぬことは安直なことではない。それどころか普遍的なこと。──長嶋有(後編)」に続く

文豪的な活動をしていないので、どうも慣れない谷崎潤一郎賞受賞。でも、表面でそう思っただけで、本当は「ヤッター」みたいな感じです(笑)――長嶋有(前編)

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