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近藤 正高
2017/02/13

ご存知ですか? 2月13日は「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」リリースの日

5人目のビートルズが応えた難題

genre : エンタメ, 音楽

 ポール・マッカートニーが4月にふたたび日本でツアーを行なう。そのポールがかつて在籍したロックバンド、ザ・ビートルズは1967年のきょう2月13日、シングル「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」をアメリカで先行リリースした。17日にはビートルズの本国イギリスでも発売される。

 ビートルズは前年の66年、日本やアメリカなどをまわったあと、8月よりグループ活動を3カ月ほど休止し、この曲でレコーディングを再開した。ジョン・レノンの故郷のリバプール郊外にあった救世軍の戦争孤児院「ストロベリー・フィールド」をモチーフにした同曲は、彼が映画撮影のため滞在したスペインで書かれた。リリース時にはポールの書いた「ペニー・レイン」とあわせて両A面シングルとなる。

左からポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、ジョージ・マーティン、ジョン・レノン 1964年 ©getty

 ロンドンのアビー・ロード・スタジオで66年11月から12月にかけて行なわれたレコーディングでは、じつに20テイク以上が録られた。なかでもジョンが気に入ったのは、テイク7のスローで瞑想的なバージョンと、テイク20のチェロとトランペットを入れたオーケストラバージョンで、どちらを採用するか悩んだ末、「テイク7から始めて途中からテイク20に移り、華やかに終わろう」と、プロデューサーのジョージ・マーティンに編集を任せている。

 困ったことに二つのテイクはキーもテンポもまったく違ったが、マーティンは専門家を集め、技術を駆使してこの難題に応えてみせたのだった。彼が「5人目のビートルズ」と呼ばれたゆえんは、こうしたところにある。

 マーティンは後年、この曲について「時代を先取りした、強力で、コンセプトも実際に出来上がった演奏も複雑で、高度なオリジナリティを持ち、即座に“サイケデリック”というラベルを貼られた〈ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァ〉は、文句なく天才的な作品だった」と評した(ジョージ・マーティン『メイキング・オブ・サージェント・ペパー』水木まり訳、キネマ旬報社)。ビートルズはこれを布石に、67年6月にはアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表、彼らの最高傑作との評価を得ることになる。

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