一昨年に父を失った野沢直子さん。父親の職業は競馬の予想屋で、失踪事件を起こしたり4度の結婚をするなど、破天荒な人生を送った。外食産業で、アニメの「ハゼドン」にあやかったハゼの天ぷらの「ハゼ丼」を考え出し大失敗したこともあったという。そんな父親に、アメリカに活動の場を移した野沢さんが結婚報告をしたときの面白すぎるエピソードを紹介する。
※本記事は「文藝芸人」(文春ムック)からの抜粋です。全文は誌面でご覧ください。
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あれは一九九三年、私が三十歳になったばかりの時だ。
当時忙しかった仕事をやめて渡米して二年後、ニューヨークでバイトしながらバンドをやっていたボブに出会い、彼と結婚することに決めた。
「私、アメリカ人と結婚するよ」
と、国際電話で父に告げると、「え? アメリカ人? 連れてこい」と父が言うので、当時緑色だったボブの髪の毛を金髪にしてもらって日本に連れて帰り、緊張しながら父に会わせた。ボブとは交際三日で結婚を決めてしまっていたが、それでは聞こえが悪いと思い、父には『交際一週間』と四日ほど延ばしておいた。
実家に行って父の部屋に入ると、父はガウンを着て椅子に座り、片手にはウイスキーの入ったグラスを持って氷をカラカラと回しながら、
「人生は映画じゃないんだ」
開口一番、私たちにそう告げた。
私はそのドラマなセリフと、ドラマのような出で立ちの父を思い出すと、今でも「くっ」と吹き出してしまう。私が交際一週間(実際、三日)で結婚を決めたことを、父なりに説教しようというのだろうが、あんたに言われたくないんだよ、と私は思った。
だがとりあえず、ボブが父は何を言っているのかと不安げな顔をするので、私は、「ライフ イズ ノット フェアリーテイル(人生はおとぎ話なんかじゃない)」などと訳してあげた。
その後父は、ボブに様々な質問を浴びせかけてきた。仕事のこと、どうやって娘をしあわせにするつもりなのか、本当にしあわせにできるのか。アメリカで結婚して周りに頼る人もいなくて、何かあった時に君は娘をたすけてくれるのか、など。父も父らしく、こんなふうに私のことを思ってくれるのかと嬉しくなるような質問が続き、私は少しだけ感動した。
この質問を全部、私がボブに英訳して聞いて、ボブの回答をまた父に訳すのは若干時間がかかり、これが二時間、三時間と続いたあと、父が「さあ、それじゃあ、大事な質問だ」と言う。
ドキドキしながら、その『大事な質問』を待っていると、それは、「東洋人とのセックスがいいから、君はうちの娘と結婚したいのか? って、聞いてくれ」だった。
私がひっくり返って、「え? えええええ?? 何それ、ちょっと。なんなの? そんなこと自分で聞くの、いやだよ!」と言っても、「何、言ってるんだ。これは大事なことなんだよ。いいから、聞きなさい」と言う。
そこまでの感動もふっとび、私はこれを自分で訳して聞くはめになった。
するとボブは、「僕ももう三十二歳と大人なので、ただのセックスと愛情のあるセックスとの違いはわかります」と答えて、私はこれも自分で訳して父に伝えた。
父がその答えに満足げに頷(うなず)いて、さらに言った。
「それでは、最後の質問です」
「えええ? まだ、あんの」
「海と山は、どちらが好きですか?」
私はまた、ひっくり返った。これもうコントだろう、と思いながら、「ウィッチ ワン ユー ライク ベター、マウンテン オア オーシャン?」とボブに聞く。父が海が好きなのは知っていたから、『オーシャンって言って』と祈っていると、「どちらも好きで決められません。山の見える海、ではだめですか?」とボブが言った。
それを訳すと父は、「なんだ、そんな。なんかのセールスマンみたいな答えじゃだめだよ。これがこの結婚許すかどうかの決め手になる質問なんだから。どっちかに決めろ、と言え」と迫った。
この質問が結婚を許すかどうかの決め手って、今までの私が感動していた『娘をしあわせにできるのか』のくだりはたいして関係なかったのかと思うと、私はまたまたひっくり返りそうになった。
ドキドキしていると、ボブがちょっと考えて「オーシャン」と答えた。父は立ち上がってボブの手を握り、「よおし、娘を君にやろう」と大きな声で言った。