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山本 一郎
2017/03/23

お客様は神様ではなくなり、戦後は終わった

果たしてクロネコヤマトの「便利」は持続可能なのか?

 親族の介護を手伝っていると、引退した団塊の世代のグループと頻繁にお会いして話すケースが多いのですが、彼らの口から若い人を褒める言葉を聞くことはあまりありません。だいたいが、いまのサービスはなってないとか、若い人はだらしないなどという愚痴か、自分たちが高齢者であるという理由でいかに大事にされていないかという話を繰り返しされるわけですよ。

 実際には、私は息子として老いた母や自力で生活のできない親族を血縁の人間として介護しているわけで、文句を言っている高齢者のかなりの割合は息子夫婦も近寄らないような天涯孤独の老人ばっかりだったりします。そういう愚痴を現役時代からずっと垂れ流して精神論で人様を批判していたらそりゃあ親族だって近寄らないだろうと思うわけですが、こちらも車椅子を押したり老人同士の会話に入るときは暇なので、そういうお年寄りの「ご高説拝聴」となるわけですけれども、コンビニでいらっしゃいませを言われなかったとか、自宅でチャイムがピンポンと鳴ってもたもた玄関先まで歩いていくうちに不在と判断されてしまって配達の人に帰られてしまったなど、そこに文句を言ってもしょうがないだろという話ばかりを聞かされるとこちらも高齢者になった気分になります。

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高齢者にも多い「お客様は神様」という思い込み

 彼らからすると44歳の私も「若い人」のうちに入るわけでして、だいたいが「あなたはいいけど、ほかの若い人をどうにかしてやってくれ」という途方もない要望がぽんぽん飛び出すのが高齢者界隈です。もちろん、言いたいことは分かるんですけどね。仕事や親族でもない限り、これといって話の合わない老人を大事にしようと思わない若者が増えているのは事実でしょうし。ただ、金は別になくとも老人は尊敬されるべきだ、それも無条件に、と思っているお年寄りも一定の割合いるし、その一方で「私たちがレジでもたもたしたら、店員さんやほかのお客さんに申し訳ないから」と買い物に出なくなる老人もいるのです。話を聞いていて、どちらの高齢者を尊敬するべきかは言わずもがなですが、団塊の世代周辺は特に「高齢になってないがしろにされている自分」を嘆き、社会が悪い、いまの日本は良くない方向に向かっている、と信じてやまない人たちが多いような感じがするのも事実です。言いがかりみたいなことを急に知らないお年寄りに言われて、日ごろは神の使徒なみに穏便な人柄である私もさすがに「なんだこのジジイ早く死ね」と思ってしまうこともあります。やはり私には敬虔さが不足しているのでしょうか。

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 身体は少し悪いけど精神的にも口先もまだまだ壮健なお年寄りと話していて「老人は尊敬されるべき」というご主張に次いで多いのが「お客様は神様のはずだ」という内容です。三波春夫かよ。目の前のお客様は神様だと思って尽くしましょう、というビジネスや接客の基本とされる部分は確かにあるけれど、それはちょっと社会人経験のある人からすれば「マナーがあり、お金を払ってくれるお客様は神様よりありがたい存在になるかもしれない」という程度の話であって、いつぞやの栄養ドリンクの宣伝のように24時間戦うことなんかないし、老後の資金繰りを気にして節約しながら暮らしている高齢者が安酒を買う程度の金で神様扱いされるはずもないのです。お客様は神様というより、仏様にしてやろうかと店員に思われていてもおかしくないレベルで勘違いをしていると思うのですよね。

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