僕の前に道はない

 僕の後ろに道は出来る

 とは、高村光太郎の詩、「道程」の一節だが、このフレーズを地で行く美術家・篠田桃紅が個展を開催している。現在104歳にして現役という驚きの事実をおいても、展示内容のオリジナリティと深みを堪能するためにこそ、ぜひ足を運びたいところだ。

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書に飽き足らず「墨を用いた抽象絵画」へ

 篠田桃紅は1913年の生まれ。幼少時から父親に書を習い、長じて書家となり、弟子をとるようになる。時代を鑑みれば、女性が職業を持ち独立し、一家を成すこと自体が珍しいのに、彼女はそこに留まらない。

 戦前、20代で早くも書の個展を開くものの、あまりに自由闊達な作風だったゆえ、批判を浴びた。伝統を踏まえない「根無し草」と評されたのだ。そう言われても、納得がいかない。手本をなぞるだけでは意味がないのではないかと彼女は考え、我が道を行く決心を固める。墨を用いて筆で書くことは続けたとはいえ、作品の内容はさらに自由となり、書や文字の範疇に収まらなくなっていく。

 たとえば、「川」という字は3本のタテ線でできていて、その型を踏襲するから字として認識され、人に意味が伝わる。けれど、川のことをじっと想像してみれば、もっと無数の線によって流れを表現したり、1本の長い長い線で蛇行する川を表したほうがしっくりくることもありそうだ。ならば、自身の感じ方に忠実に描いてみる手だってある。

 そうして篠田桃紅は、文字から発した抽象的な線やかたちを描くようになっていく。作品はいつしか書というジャンルを超え、現代美術としての評価を得るようになった。墨を用いた抽象絵画という、オリジナリティのかたまりのような作品が続々と生み出され、国内外で発表の機会が相次いだ。

《Discovery/ひらく》1962年

 活動は途切れることなく続き、百歳を過ぎてなお、歩みは絶えない。時代、性別、ジャンル、世評……、これほど何にも縛られない表現者も稀だ。まさに彼女の前に道はなく、彼女が通ってきたところに道ができていった感あり、である。

いまなお続々と新作が誕生

 東京・虎ノ門にある菊池寛実記念 智美術館で開かれている「篠田桃紅 昔日の彼方に」展で驚くべきは、回顧展ではないところ。出品作は1950年代に描かれたものもあるが、2000年代に入ってからの作品も多数。2016年作が8点、今年の作品も1点ある。新作を多数含む、篠田桃紅の現在地を知ることのできる展示となっているのだ。

《Fountain of Gold/黄泉》2016年

 百歳を超える年齢にどうしても耳目が集まるけれど、作品を観ればそんなことはあまり意味がないと実感する。最近の作が、ゆめ老境の余技なんかではないのは一目瞭然。画面は力強いし、一つひとつの文字を伝達手段という役割からどう解き放っていくかという実験精神にも溢れる。日本の文字はそもそも優れた抽象表現として成立しているのだと気づかせてもくれる。

 ひとりの人間の内側で、半世紀以上にわたって、ごく当たり前のごとく表現上の探究が脈々と続いているという事実に、深く胸を打たれる。