『字が汚い!』(新保信長 著)

 人間50年も生きてれば、冠婚葬祭にも慣れてくる。フリー編集者という仕事柄、ふだんはノーネクタイでいい加減な格好をしているが、いざとなればフォーマルスーツでビシッと決めて、ちゃんとした大人のふりをするぐらいのことはできるつもりだ。ここ10年ほど結婚式はないけど葬式は多々あり、今や焼香の手つきも堂に入ったものである。

 そんな私にとって鬼門なのが芳名帳だ。冠婚葬祭の受付で名前や場合によっては住所まで書かされるアレ。いくら大人のふりをしてもアレのおかげで化けの皮がはがれてしまう。

某大物漫画家あてに書いた手紙。

 そう、字が汚いのだ、私は。いや、そういうときはもちろんできるだけ丁寧に書くし、判読不能なほどの悪筆ではない。というか、味のある悪筆ならまだマシである。私の場合、筆跡そのものがどうにも子供っぽくて拙いのだ。これはちょっと恥ずかしい。

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小学5年生頃の字。どう見ても1年生レベル。

 思えば子供の頃から字が汚いと言われていた。それでも大人になれば自然と大人っぽい字が書けるようになるものだと思っていたら、そうじゃなかった。原稿はパソコンで書くので仕事上は問題ない……と言いたいところだが、たとえば大御所作家に初めて執筆を依頼するときなど、ここぞという場面では手書きの手紙を送ることもある。それが小学生みたいな字では説得力がない。「乱筆乱文にて失礼いたします」という常套句が謙遜でも何でもなく、心を込めたつもりの手書きが逆に失礼な感じになってしまう。

 

 これではイカン。うまい字じゃなくていいので、せめてもう少し“大人っぽい字”が書けるようになりたい! 今さらながら一念発起した私は、とりあえず書店の実用書コーナーへ。するとそこには『30日できれいな字が書けるペン字練習帳』『美しく正しい字が書けるペン字練習帳』『かんたん!100字できれいになるボールペン字練習帳』『簡単ルールで一生きれいな字』『まっすぐな線が引ければ字はうまくなる』『練習しないで、字がうまくなる!』『字は1日でうまくなる!』なんて本がズラリと並んでいるではないか。どうやら世の中には私と同じく字に悩む人が大勢いるらしい。

 そこから私の手書き文字向上をめざす右往左往が始まった。いわゆる美文字ブームの火付け役となった『30日できれいな字が書けるペン字練習帳』からスタートし、何冊かのペン字本を試してみる。〈文字の中心をそろえる〉〈文字の大きさのバランスを意識する〉とか、言ってることはわかるけど、それができれば苦労はない。部首や字形ごとのポイントを教えてくれるのはいいが、あまりにポイントが多すぎて覚えきれない。あげくの果ては〈練習しても字はうまくならない〉なんて言い出す本もあって、もう何がなんやら。

 一人でやってるとなかなか埒が明かないので、ペン字教室にも通った。大人っぽい字に見せるには楷書より行書のほうがいい、というのは自分で書いてみて納得。続け字でサラサラッと書くと、うまくなったような気がして気持ちいい。ただし、お手本がないと何をどう書けばいいのかさっぱりわからない。

新保信長氏

 そんな“五十の手習い”の悪戦苦闘の過程を、今回一冊の本にまとめた。題して『字が汚い!』(文藝春秋)。個人的体験だけでなく、字の汚さには定評のあるコラムニストの石原壮一郎氏、字がきれいと評判の女性文芸編集者、独特の手書き文字を装丁に使うデザイナーの寄藤文平氏、筆跡診断士の林香都恵氏らに話を聞いたり、作家や政治家、アイドル、野球選手らの文字を検証したり、「字を書く」という行為をさまざまな角度から見直してみた。なぜ自分の字はこんなに汚いのか、どうすれば字はうまくなるのか、字のうまい人とヘタな人は何が違うのか、やっぱり字は人を表すのか……。自分の字に自信がない人には、きっと参考になる部分があると思う。

 で、結局お前の字はうまくなったのかって? それは読んでのお楽しみということで。

新保信長(しんぼ・のぶなが)
1964年大阪生まれ。東京大学文学部心理学科卒。流しの編集者&ライター。阪神タイガースファン。『SPA!』などの雑誌に携わりつつ、単行本やムックの編集・執筆を手がける。著書に『笑う入試問題』(角川書店)、『東大生はなぜ「一応、東大です」と言うのか?』(アスペクト)、『国歌斉唱♪ 「君が代」と世界の国歌はどう違う?』(河出書房新社)、編書に『できるかな』シリーズ(西原理恵子/扶桑社)、文藝別冊『総特集いしいひさいち』(河出書房新社)などがある。

字が汚い!

新保 信長(著)

文藝春秋
2017年4月14日 発売

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