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連載世界経済の革命児

大西 康之
2017/04/24

リチャード・ブランソン66歳「大きな敵に立ち向かうことが生涯のスタイル」

世界経済の革命児

リチャード・ブランソン氏(ヴァージン・グループ会長) ©共同通信社

 正確にはサー・リチャード・チャールズ・ニコラス・ブランソン。英国で雇用を創出し外貨を獲得した功績を認められ、2000年にエリザベス女王から「ナイト」の称号を授かっている。

 18歳の時に学生の声を取り上げる雑誌「スチューデント」を立ち上げる。これが注目を集め、高校を辞める。インディーズ系のミュージシャンたちとの人脈ができ、次に始めたのがレコードの通信販売。

 まとまった資金ができた1972年、自分のレーベルを立ち上げる。「ヴァージン・レコード」だ。当時、英国の音楽業界はザ・ビートルズがアルバムを録音したことで知られるアビー・ロード・スタジオで有名なEMIが牛耳っていたが、ブランソンは格式の高い業界にスニーカーで踏み込んだ。彼のレーベルは、セックス・ピストルズを世に送り出したことで名声を博する。

「大きな敵に立ち向かう」という彼のスタイルはここで確立された。

 2000年ごろ、ロンドンの中心部にある彼のオフィス(といっても普通の住宅だったが)でインタビューをしたことがある。業績がどん底だった日産自動車のテレビCMに出演した理由について「なんで負け組の日産を応援するのか」と聞くと、ブランソンは嬉しそうにこういった。

「だから面白いんじゃないか。トヨタに挑むんだろ?」

 その時、リビングのテーブルに無造作に置かれた書類に目が止まった。A4の紙に見出しのような巨大な文字で10行程度の文章が記されている。まるで絵本だ。私が怪訝な顔をしていると、スタッフがウインクしながらこう言った。

「それはリチャード専用だよ」

 ブランソンは「ディスレクシア」と呼ばれる学習障害を抱えており、スムーズな文字の読み書きができない。学校にいる間は本人も障害に気がつかず、悩んだという。しかし、集中力は人並みはずれたものがあり、一度聞いた話や会った人間のことは忘れない。いつも楽しそうに笑っており、周りの人々を虜にする。

 彼の虜になった一番の大物は、マーガレット・サッチャー英首相だろう。ブランソンは1984年にヴァージン・アトランティック航空を設立した。中古で購入した一機のボーイング747で始まった。敵はナショナル・フラッグシップのブリティッシュ・エアウェイズ(BA)だ。

 当時のイギリスは「英国病」と呼ばれ、BAのような官僚的な大企業が経済界を支配し、労働組合によるストライキが常態化して活力を失っていた。「鉄の女」と呼ばれたサッチャーは、荒れ狂う労組に向かって「悔しかったら働きなさい」と言った。サッチャーは誰彼構わず大きな相手に噛み付くブランソンを「時代の英雄」に仕立て上げた。テムズ川を下るボートにブランソンと2人で乗り込み、沿岸の観衆に手を振ったこともある。「既得権を貪る者は許さない。リスクをとって挑戦する者は応援する」。そんなサッチャリズムを体現したのがブランソンだった。

 ブランソンは就航前のテストフライトに、英政財界の要人を招いた。赤と白に塗り分けられたポップな機体を物珍しそうに見ながら、ボーイングに乗り込んだ要人たちは、離陸と同時に青ざめる。機内前方の大きなスクリーンに操縦室の様子が映し出され、制服姿のブランソンがニコニコしながら操縦桿を握っていたからだ。騒然とする客室。しばらくするといつも通りのラフなスタイルのブランソンが姿を現した。スクリーンに流れていたのは、あらかじめ撮影したイタズラ用の映像だった。

 その後は、鉄道、携帯電話、金融などに領域を広げた。飲料事業では「ヴァージン・コーラ」を発売し、世界市場を支配するコカ・コーラとペプシコーラに挑戦している。

 2004年には米国に「ヴァージン・ギャラクティック」を設立し、宇宙旅行ビジネスにも参入した。2013年から飛行実験を重ねており、将来的には1人25万ドル(約2800万円)で年間500人の観光客を宇宙に運ぶ計画だ。

 自身も冒険家としても知られ、1987年には熱気球で大西洋を横断した。2010年には59歳にしてロンドン・マラソンを完走。タイムは5時間2分だった。

 トレードマークは長髪にヒゲ。ネクタイをせず、シャツの前を大きくはだけたその姿はロック・スターさながら。66歳の今もそのスタイルは変わらない。

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