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石坂 泰章
2017/04/19

藤田美術館の歴史的「300億円落札」は、なぜ日本で話題にならなかったのか

美術館にも攻めの経営判断が求められる時代

 アートビジネスの世界に身をおいていると、欧米では主要紙の一面を飾るようなアート界の大ニュースが、日本ではほとんど報道されていないことに驚く。

 つい先日も、他でもない日本の老舗美術館がニューヨークで行われたオークションに中国美術を出品し、記録破りの高値を記録して関係者に衝撃を与えたが、日本でこのニュースを知る人はほとんどいなかった。それにはアートをめぐる日本独特の問題も影響している──。

 明治の実業家藤田傳三郎は、DOWAホールディングス(旧同和鉱業)、大成建設、藤田観光等数多くの名門企業を輩出した藤田財閥の創立者であっただけでなく、著名な美術品収集家、茶人としても知られていた。藤田美術館(大阪市)は、その藤田傳三郎の東洋美術、茶道具を所蔵展示している、国内屈指の質を誇る美術館だ。

 とりわけ国宝9点、重要文化財52点の中でも、曜変天目茶碗(国宝)は、世界に現存する3点のうちの1点で、その斑文には宇宙の広がりを感じさせる美しさがある。最近「開運! なんでも鑑定団」(テレビ東京系)に登場して話題になった怪しい曜変天目茶碗と違い、こちらは大正時代の売り立てで水戸徳川家から購入した、由緒正しいものだ。

中国美術の名品31点で記録破りの落札額300億円!

 その名門美術館も、1954年の開館から63年経ち、低金利下で財団の財政事情も厳しく、建物の老朽化、スペースの手狭さが新たなる展開を妨げていた。なにしろ、明治末期に建てられた藤田家の蔵を、改装して使い続けているのだから無理もない。美術館には二つの選択肢があった。このまま座して死を待つか、抜本的解決策をとるかだ。藤田美術館は意を決して後者を選んだ。そして、今年3月にニューヨークで行われたクリスティーズのオークションで、一部の作品を売却するに至った。

 結果は大成功! 中国美術の名品31点を出品して、総額2億6280万ドル(約300億円)という記録破りの落札額を達成した。当初の落札予想額は50億円、業者間の予想でも150億円だったのに対して、南宋時代の陳容(Chen Rong)の巻物1点だけで約56億円を記録した。

「美術作品売却、国外流出=悪」という日本のマスコミの偏見

 一連の対応をみると、美術館側が落札額以上に国内のマスコミを恐れていたのがわかる。なにしろ国内のマスコミは、「美術館作品売却=悪」、「国外流出=悪」、「美術品高値=バブル」という思考回路しかない。だから、美術館側は海外では徹底して藤田の名前を表に出し、海外のマスコミは作品の質に賛辞を惜しまなかったが、国内では美術館名を前面に出さないようにした。クリスティーズも美術館の意向を尊重して、オークションの担当者が紹介された「プロフェッショナル」(NHK)でも“某美術館”で押し通した。すると主要紙で数行、その他のマスコミでもちらっと紹介されるだけで、マスコミの餌食にもされずに済んだ。

 しかし、今回の件は美術館名を堂々と出して発表すべき、画期的な未来への投資だったと思う。名品といっても、同美術館が普段活用していない作品を売却して、展示環境を充実させ、コレクションの本筋を強化するのは、経営でいえば“選択と集中”に他ならない。外国ではよくあることで、サンフランシスコ近代美術館が近現代という収集方針にそぐわないモネの名品を売却したり、グッゲンハイム美術館が多数所蔵するカンディンスキーの中の数点を売却して手薄な現代美術を充実させたりと、そうした例は枚挙にいとまがない。

 ただし今回の売却は、米国だと全米美術館連合(AAM)の「作品の売却収入は代替作品の購入にしか充てない」という指針に引っかかるが、これは改革もしない単なる赤字補填は認めないというメッセージであって、例外がないわけではない。1996年にシェルバーン美術館(米国)が、サザビーズでドガ等の作品を約35億円で売却したときがそうだった。同美術館は反対を押し切って売却を決断し、売却代金を累積赤字の解消に充てた上で、強みであるアメリカンフォークアートの充実に充てると公にした。今では、同美術館は他に類をみない個性で、多くの来訪者を引きつけている。

文革で書画が破壊され、買戻しに躍起になっている中国

 今回の落札価格もバブルではない。中国美術の門外漢である私がみても、中国宋代の画家、陳容の13世紀の巻物の龍「六龍図」は、息を飲む迫力であった。その上に作品の状態も良好、美術品の目利きであった乾隆帝の印もあるし、乾隆帝の公式書画編纂目録にも掲載されている。その作品がモネの「睡蓮」と同じ価格レベルで取引されることに違和感はなかった。落札予想価格が結果の40分の1弱というのは諸事情も多少あったかもしれないが、市場にこれに比類するクラスの作品が出品されていなかった証でもある。

陳容の「六龍図」は落札予想価格を40倍以上上回り、モネの睡蓮と同レベルで取引された ©iStock.com

 落札者は公表されていないが、恐らく中国か、台湾だろう。中国は文化大革命で書画はことごとく破壊されているので、名品が出ると買い戻しに躍起になっている。中国では美術は愛でるものであるとともに、権力の正統な継承者をも意味する。だから、意地にかけても台湾の後塵を拝するわけにはいかない。一方台湾には目の肥えた個人コレクターが多い。その他では青銅器が約42億6000万円で落札記録を更新した。これも類をみない作品だった。

 このようにオークションの裏には、個人のみならず、国家も絡む数々のドラマがある。2020年頃といわれている新生藤田美術館のリニューアルオープンが今から楽しみだ。

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