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瀧井 朝世
2017/04/29

少女たちが築いた自分たちだけの王国。最新にして最高の傑作『最愛の子ども』、ついに刊行。──「作家と90分」松浦理英子(前篇)

話題の作家に瀧井朝世さんがみっちりインタビュー

genre : エンタメ, 読書

松浦理英子さん ©山元茂樹/文藝春秋

松浦理英子(まつうら・りえこ)
1958年、愛媛県松山市生まれ。青山学院大学文学部卒業。78年、「葬儀の日」で第47回文學界新人賞を受賞し、デビュー。94年『親指Pの修行時代』で女流文学賞、2008年『犬身』で読売文学賞を受賞。他の著作に『セバスチャン』『ナチュラル・ウーマン』『裏ヴァージョン』などがある。

<パパ><ママ><王子>…“見られる側”の女子高校生がつくった誰にも支配されない共同体

――新作長篇『最愛の子ども』(2017年・文藝春秋刊)は5年ぶりの長篇となりますね、お待ちしておりました。高等学校女子部の2年生のクラスで、生徒たちが仲睦まじい3人の少女を“わたしたちのファミリー”と位置付けて眺めている。でも、やがて3人の均衡は崩れていく……。さまざまな要素を大変面白く拝読しました。

松浦 2000年に出した『裏ヴァージョン』(小学館P+D BOOKSより9月復刊)という小説の中に、小説のアイディアとして書き記した女子高校生3人の物語があって、それが元になっているんです(「第十三話ANONYMOUS」)。そこには、まわりの同級生にパパ、ママ、王子様と呼ばれる3人の女子高校生がいて、仲良くしているけれどもだんだん関係がずれ始めていくというあらすじだけを書いたんです。それを書いた時から、本当に小説に書いたら面白いんじゃないかと思っていて、今やっと形になりました。だから思いついたのは結構はやいんですね。

最愛の子ども

松浦 理英子(著)

文藝春秋
2017年4月26日 発売

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――ああそうか『裏ヴァージョン』の中の……! 語り手が「わたしたち」という人称を使うことは最初から決めていたのでしょうか。

松浦 これも『裏ヴァージョン』の中の第四話「トリスティーン」が、「わたしたち」という人称は伏せているんですが、実は一人称複数小説になってるんですね。これを書いた時、この人称はもっと展開できる方法なんじゃないかと思ったんです。ですから今回のすべての出発点は、過去の作品『裏ヴァージョン』の中にあるんです。

――ファミリーの周囲にいる同級生たちの名前や個性も描きこまれつつ、「わたしたち」という人称で語られるので、個々の人物ではなく漠然とした共同体、集合体というものを感じながら読み進めることになります。

松浦 おっしゃる通り、ある共同体というものを考えて書いていました。普通の社会の共同体というのは、いわゆるマジョリティー主体の共同体ですよね。共同体の中に生まれる昔話、伝説、伝承といったものは、共同体の人々、マジョリティーの人々に奉仕するものとしてあります。その中で物語を動かす、主役もしくは核となる人物は、一般的な人物ではなくて何かしらの特徴のある人です。「一寸法師」にしても「かぐや姫」にしても、異形であったりスター性を持っている、通常とは異なるしるしを持った、マイノリティーと言ってもいい人物です。そういう特別な人を共同体の主流に属する人々が面白がっているというのが、昔ながらの共同体における物語の構図だと思うんです。マジョリティーにとってはそれでいいんでしょうけれども、面白いものを見せてくれると期待されているマイノリティーにとってみれば、一方的にそういう期待をかけられ面白がられるのは嬉しくないでしょう。

――マジョリティー対マイノリティー。見る者と見られる者の関係といいますか。

松浦 マイナーな人間であるところの主要登場人物たちは、もしかしたら不本意な役回りを演じさせられているのかもしれない。普通に考えて、別にその共同体に奉仕するために自分たちがいるわけではない、という思いはあると思うんですよね。そこで共同体側に立たないで、マイナーな存在を書きたいという気持ちが、私にはずっとありました。私が書いてきたものはほとんどがそういう作品だったと思うんです。

――高校の女子クラスが舞台というのは、どのような思いがあったのでしょうか。

松浦 マジョリティーが構成する共同体ではなくて、世間においては特別に関心を持たれ、見られる側であるところの女子高校生たちの共同体を描きたかったんです。冒頭部分の課題作文にも、女子高校生への視線に対する反発が出てきますが。

――ファミリーのママと見なされている真汐が書いた作文のことですね。冒頭が〈女子高校生らしさとは何かというテーマで作文を書くように言われましたが、正直、いったい何を求められているのかわかりません。私は別に女子高校生になりたくてなったわけではなく、単に時期が来たので進学しただけです。〉

松浦 世の中の男性たち、大人たちに愛玩され面白がらせることを期待されている女子高校生たちが、そういう大人の目から逃れたところで、自分たちの王国のようなものを作っている。そういう女子高校生たちが主体の共同体でみずから物語を物語るという形を作りたかったんです。社会の構造には支配されないような――完全に支配から逃れることはないでしょうけれど――ある程度社会の主流の共同体から隔たった自由度の高い共同体です。もしかすると偏った、イカレた共同体といっていいかもしれません。いずれにせよ、そういう小さな共同体から、独自の物語、伝承が生まれ育っていくさまを描こうと思いました。

――なるほど、語り継がれていくパパとママと王子様の物語。

松浦 現場にいた人しか記憶にとどめない物語ではあるんですけれども。