恩田陸(おんだ・りく)
1992年、日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作となった『六番目の小夜子』で小説家デビュー。ホラー、SF、ミステリーなど多彩なジャンルで活躍、2005年、『夜のピクニック』で吉川英治文学新人賞と本屋大賞を受賞。
その後も数々の話題作を発表、2006年、『ユージニア』で日本推理作家協会賞、2007年には『中庭の出来事』で山本周五郎賞を受賞。2017年1月、『蜜蜂と遠雷』が第156回直木賞を受賞。
実際にコンクールを取材してきて、その残酷さも含めてすごく面白かった
――まずは『蜜蜂と遠雷』(2016年幻冬舎刊)の第156回直木賞受賞おめでとうございます。作家生活25年の節目の年に素晴らしいニュースですよね。
恩田 ありがとうございます。プロになってからずっと、自分が直木賞を受賞するとは思っていなかったので、なかなか実感がわかないです。ただ、候補になるのは第一線の人なんだなと思っていたので、候補にしてもらえるというのは励みになりました。それに各社いろんな編集者と仕事をしてきましたから、みなさんにほっとしていただけたのではないかと思っています。
――いや、みんな、いつか受賞すると思ってましたよ! この『蜜蜂と遠雷』はピアノコンクールが開催された2週間の出来事を追った内容で、2段組みの読み応えのある長篇。物語の世界にどっぷり浸かることを許されているような気がして、本当に堪能しました。
恩田 2段組みということでぎょっとした人もおられるんですが、まあでも2分冊にしなくてよかったかなという。しかもこの2段組みは読みやすいと言われました。デザインしてくださった鈴木成一さんのおかげです。
――構想12年とのことですが。
恩田 こんなに長くかかるはずじゃなかったんです。12年くらい前に、浜松国際ピアノコンクールで、書類選考では落ちた無名のコンテスタントが予備審査からオーディションに勝ち上がって最高位を獲得して、その後でショパン国際ピアノコンクールという権威のある大会で優勝したという話を聞いたんです。それで、ピアノコンクールを最初から最後まで書いてみたいと思って、取材のために浜松国際ピアノコンクールに行ったのが最初です。
自分自身もピアノは中学生くらいまで習っていました。大学からはアパートで一人暮らしになったので、その後は全然弾いていなかったんですが、ピアノを聴くのはものすごく好きでした。
――そこから時間がかかったのはどうしてでしょう。
恩田 他にもいっぱい連載があったというのもあるんですけれど、どのコンテスタントが何を弾くのか、プログラムを作るのに時間がかかったんです。やっぱりある程度曲を聴きこまないと分からないし、登場人物の性格にもよるので迷ってしまって。それまでもピアノは聴いていましたけれど、コンクールで弾く曲となると聴いたこともない曲もあって、ものすごくいっぱい聴くことになりました。そういう意味でも勉強になりましたね。聴いて聴いて聴きまくって、登場人物の性格が分かってきて「ああこの人ならこの曲だな」というのが出てきた時は楽しかったですね。
――コンテスタントの主要人物は4人いて、それぞれが一次予選から本選まで弾く予定の曲が一覧になって載っていますね。養蜂家のもとで育ち、きちんとしたピアノ教育を受けていない天才肌の風間塵、挫折して一度ピアノから離れていた栄伝亜夜、28歳という年齢制限ぎりぎりで参加した高島明石、ジュリアード音楽院を出た優等生のマサル・カルロスの4人。この人物造形はどのようにできていったのですか。
恩田 最初に風間塵が出てきたんです。彼はトリックスター的な役割ですよね。彼と競うならどういう人になるのかと考えて、他の3人が出てきました。やっぱりコンクールの最初から最後まで書くとなると、ある程度上手な人でないと残れないので、自然とそういう人たちになりました。
――それぞれ才能と実力はありますが、タイプがまったく違いますね。
恩田 いろんな才能を書いてみたかったんですよね。才能ってなんだろうということをずっと考えながら書きました。だから、4人だけでなく、たとえばコンクール中に亜夜につきそう奏ちゃんにも、ある種の才能があるんですよ。あと、やっぱり人は人からでなきゃ受けない影響というのが絶対にあると思うんです。そうした人と人との関係性も書こうと思っていました。才能と才能の関係性みたいなものも書いてみたかったんですね。
実際にコンクールを見ていても、2週間の間にすごく伸びる人とか、前評判がよかったのに全然調子が出なくて最初にいなくなってしまう人とかがいるんです。いろんな人がいるんだなというのを実感したんです。残酷なところもありました。
――コンクールというとやはり闘いをイメージして、ライバル同士の間で火花が……というのを想像しがちなんですが、そうではなくお互いの存在がいい刺激になり、お互いを高め合っていっている。勝負にこだわるのではなく、自分の音を追求しようとしている姿が魅力的、感動的でした。
恩田 それこそ鍵盤に剃刀を仕込むとか(笑)? そういうドロドロ系、トラウマ系の話にはしたくなかったんですよね。純粋にその音楽を追求するということ、純粋に演奏について書いてみたかったんです。
やっぱりコンクール自体がすごく面白かったからですね。4回見て、すごくドラマ性を感じました。はっきり言って、すごい見世物なわけです。その残酷さも含めて面白いなと思いました。
――風間塵の演奏は非常に自由で、それに魅了される人もいれば拒否感を抱く人もいる。そのあたりってどういう発想だったんですか。
恩田 実際に、過去のショパンコンクールでも、圧倒的に個性的だった人がはねられているわけですよ。こんなのは下品だとか言われて落ちる。有名なのはポゴレリチというピアニスト。審査員のアルゲリッチが「天才だ」と言ってすごく推していたのに落とされちゃって、彼女はそれに抗議して審査員を辞めたんですよ。「彼を落とすなんて信じられないわ」と言って。逆にそれでポゴレリチが有名になったんですけれど。そういうことが念頭にありました。それこそ文学賞の新人賞でも、選考ですごくいいと言う人とこれは駄目だと言う人に分かれる作品が一番面白いですよね。それを落とすとやっぱり平均点のものばかり残ってしまう。どの業界でも似ていると思うんですが、新しいものが出てきた時に評価できるのかという問題はありますよね。
――風間塵は養蜂家の息子ですが、タイトルの『蜜蜂と遠雷』の蜜蜂はそこから採られているわけですよね。
恩田 最初に浮かんだのは、風間塵が自然の中に立っていて、蜜蜂の羽音を聴いているというシーンだったんです。そのイメージから始まったので、野生児を出したかった。実際のコンクールで聴いていても、破天荒な人はなかなか出にくくなっていると実感するので、じゃあ、全然英才教育を受けていない野生児みたいな人を出したいな、と。そこから話ができていきました。でも風間塵は天然の天才なので、書いていて予測できないところがありました。