0歳
11月28日、父・向田敏雄、母・せいの長女として東京府荏原郡世田谷町若林に生まれる。
没後45周年
「阿修羅のごとく」「あ・うん」など人気テレビ番組のみならず、
多くの小説を遺し今も愛され続ける昭和を代表する作家・向田邦子。
没後45年を迎えた今、秘蔵写真そして数々の証言と共にその足跡を振り返る。
1929(昭和4)年、東京生まれ。
実践女子専門学校(現・実践女子大学)卒。
「寺内貫太郎一家」(1974年)、「阿修羅のごと<」(79年)、「あ・うん」(80年)などのテレビ番組の脚本を執筆し人気を博す。1980年、短編『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』(『思い出トランプ』所収)で第83回直木賞受賞。1981(昭和56)年8月22日、台湾取材旅行中の航空機事故により死去。
0歳
11月28日、父・向田敏雄、母・せいの長女として東京府荏原郡世田谷町若林に生まれる。
18歳
4月、実践女子専門学校に入学。
21歳
3月、実践女子専門学校卒業。
4月、財政文化社に入社。社長秘書となるかたわら、東京セクレタリ・カレッヂ英語科夜間部に学ぶ。
23歳
5月、雄鶏社に入社。「映画ストーリー」編集部に配属。「映画ストーリー」は同年6月に創刊。2号目からスタッフに加わった。
29歳
10月、初のテレビ台本「ダイヤル110番」を共同執筆。
31歳
5月、女性のフリーライター事務所「ガリーナクラブ」に参加。12月、雄鶏社を退社。
33歳
3月、「森繁の重役読本」(東京放送、文化放送他)開始(44年12月まで――7年間で2448回の台本を執筆)
35歳
6月、「七人の孫」(TBS)脚本を共同執筆(原作・源氏鶏太)、人気脚本家に。
39歳
8月、タイへ初の海外旅行。
42歳歳
8月、「時間ですよ」(TBS)(翌々年8月まで、10回分)。
12月、世界一周旅行。
45歳
1月、「寺内貫太郎一家」(TBS・39回連続)放映開始。
49歳
7月、「家族熱」(TBS・14回連続)放映開始。
11月、初のエッセイ集『父の詫び状』(文藝春秋)刊行。
50歳
1月、「阿修羅のごとく」パート1(NHK・3回連続)放映開始。
5月、「週刊文春」(5月24日号)に「無名仮名人名簿」連載開始。
9月、ケニア旅行。
10月、エッセイ集『眠る盃』(講談社)刊行。
51歳
1月、「阿修羅のごとく」パート2(NHK・4回連続)放映開始。
2月、北アフリカ旅行。「小説新潮」(2月号)に連作短編小説「思い出トランプ」連載開始。
3月、「あ・うん」(NHK)放映。
5月、「週刊文春」に「霊長類ヒト科動物図鑑」連載開始。ギャラクシー賞受賞。
7月、『思い出トランプ』(新潮社)に所収の短編「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で第83回直木賞受賞。
8月、エッセイ集『無名仮名人名簿』(文藝春秋)刊行。
1月、「蛇蝎のごとく」(NHK・3回連続)放映開始。
5月、「隣りの女」(TBS)放映。ベルギー旅行。長編小説『あ・うん』(文藝春秋)刊行。
6月、ブラジル・アマゾン旅行。
7月、「週刊文春」(6月4日号)に「女の人差し指」、「小説新潮」(7月号)に連作短編小説「男どき女どき」連載開始。
8月、台湾旅行中に航空機事故で死去。享年51。
その後も、エッセイ集、小説集、向田邦子TV作品集、全対談集、全集が刊行。作品だけでなく、暮らしやファッションに光を当てた書籍『向田邦子 暮しの愉しみ』や『向田邦子 おしゃれの流儀』、『向田邦子を旅する。』や『向田邦子 その美と暮らし』といったムックも刊行。節目の年には特別な企画展も開催され、今でも多くの人々を惹きつけてやまない。
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向田邦子が好んだ東京・銀座「喫茶 ブリッヂ」のミックスサンド《スタッフと雑談するのを楽しみ、店に通い続けた》
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「よくそんなところを見てたもんだなあ」向田邦子の食エッセイを読んだ原田マハが感心した“ユーモア、やさしさ、そして人間くささ”
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