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鼠入 昌史
2017/05/03

渋谷から急行で40分 「都会の終点」中央林間での小さな旅 

名前だけはよく聞く、あの駅に降りてみた

 毎朝苦痛の通勤電車。以前、“反対方向の列車に乗って会社をサボっちゃえ”なんていうテレビ番組をやっていたが、それができるのはテレビ局のご協力があるからで、実際にひとりで反対方向の列車に乗れる人などほとんどいない。

 が、今は黄金の連休ウィーク。会社に行く必要はない。ならば、逆向き列車に乗って、いつも名前は目にしているけれどどんな場所かはよく知らないあの駅へ行ってみよう……。

シンプルな駅舎

「駅の西側と東側ではちょっと雰囲気が違うよね」

 というわけで、辿り着いたのは東急田園都市線の終点、中央林間駅。渋谷から急行に乗って約40分。田園都市線は東京メトロ半蔵門線や東武スカイツリーライン(伊勢崎線)とも相互直通運転をしているから、「中央林間駅」の名を聞いたことがある人は多いだろう。が、住んでいる人を除けば行ったことがある人は少ないはず。そもそも“林間”なんて言葉は学生時代の林間学校くらいでしか聞いたことがない。果たしてどんな駅なのか。

 で、実際に駅の外に出てみると、森の中というよりは何の変哲もないよくある新興住宅地。駅前には大きな東急ストアが鎮座し、駅そのものも商業施設と一体化している。行き交う人は学生風のカップルから親子連れ、おじいちゃんまで実にさまざま。もちろん公園やら神社やらと緑も豊かな街だけど、“林の間”とはとてもじゃないがいい難い。

林じゃないが、公園はある

 ただ、乗り換え路線にもなっている小田急江ノ島線の駅方面に行くと、少し雰囲気が変わってくる。昔ながらの小さな商店街が広がり、駅の隣には踏切も。地下駅の田園都市線とはちょっと違ったザ・私鉄沿線な雰囲気が漂う。

「小田急の線路を挟んだ西側と、東急のある東側ではちょっと雰囲気が違うよね。もともとこのあたりは小田急さんがつくった町だから、そういう意味で違いがあるのかね」

 こう話してくれたのは、地元の商店のおかあさん。では、この中央林間駅、いったいどんな歴史があるのだろうか。

味わい深い商店街。何かが見つかるかも

小田急が基礎を作り、東急が一大ベッドタウンにした

 遡ると、駅が誕生したのは1929年。小田急江ノ島線全線開通と同時の開業で、中央林間都市駅という駅名だった。当時の地図を見ると、駅のあたりは雑木林が広がる文字通りの“林間”。小田急電鉄は、東急や阪急の沿線開発を模倣してこの地域に新興住宅地“林間都市”を作ろうと目論んだ。駅の誕生と同年には女学校「大和学園」(現在の聖セシリア)を誘致し通学のための専用列車を走らせたり、1931年には野球場やテニスコートなどのスポーツ施設も建設している。さらに碁盤の目状に街路を整備して高級住宅地化を図ろうとした。遊園地や松竹撮影所の誘致計画もあったという。

 が、ときは戦争の時代。宅地化は思うように進まず、本格的な開発は戦後になってから。少しずつ人口も増えていき、私鉄沿線ならではののどかな住宅地が築かれた。そして1984年に東急田園都市線が開通して一気に大爆発、都心までのアクセスの利便性が向上したこともあって、飛躍的に開発が進められたという。

 

 いわば、中央林間は小田急が礎を築いて街をつくり、そこに東急が乗り入れて一大ベッドタウンとなった街……というわけだ。小田急側、西口の昔ながらの商店街は小田急単独時代の名残、そして東側の住宅街は東急乗り入れ後の規模拡大の結果。東西広い範囲の碁盤の目状の街路は、まさに“計画都市”ならではだ。

「名前だけは聞くけど、なんて言わないで」

「東急のイメージが強いかもしれないですけど、小田急に乗れば江ノ島までも40分くらい。都心にもそれくらいで行けるから、意外と便利な街なんです。“名前だけは聞くけど”なんて言わないで、注目してください(笑)」(前出の商店主)

 都会の真ん中、半蔵門線の駅で見かける「田園都市線直通、中央林間行き」。通勤時にはあまり意識もしない終着駅だが、行ってみれば意外と発見もあるもの。連休中にしかできないそんな小さな冒険はいかが?

 

写真=鼠入昌史

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