終着駅という言葉の響きからは、「最果て感」「寂寥感」がどうしても感じられる。確かに、稚内駅しかり、枕崎駅しかり、線路の途切れる終着駅はどうしても“最果て”の“寂しい場所”が少なくない。昨年秋に発行した拙著『終着駅巡礼』(イカロス出版)でも、大半はそういう駅ばかりだった。

 けれど、都会の中にも終着駅は意外とあるものだ。行き止まりの駅があれば、そこには必ずドラマがある――。

 というわけで、首都圏の終着駅の中から、『終着駅巡礼』では取り上げなかった“乗り換えできる終着駅”を含め、選りすぐりの5駅を紹介しよう。

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普通で不遇 西馬込駅(都営浅草線)

 なぜこんな中途半端な場所に終着駅があるのか、と思わずにはいられない。駅の目の前、ホームの真上には国道1号(第二京浜)が走っていて、車の交通量は多いしマンションも立ち並ぶなど、寂寥感とは無縁の終着駅。けれど、あとすこし南に行けば東急池上線が走っているわけで、せめてそこまで結んでくれれば浅草線ももっと便利なのに……。

終着駅とは思えない、きわめてふつうの風景

 そもそも、この西馬込駅を含む区間は都営浅草線の中でも格段に不遇。ご存知の通り京急や京成と相互直通運転を行っている浅草線の中において、その直通運転から外れたまるで支線のような区間の終点が西馬込だ。運行形態も西馬込行きの列車は多くが泉岳寺とのピストン輸送。じゃあなんでこんな場所に駅があるの? となるだろう。その答えは「車両基地」である。

馬込車両検修場

 西馬込駅の南東には、広大な車両基地(馬込車両検修場)がある。ここで浅草線のみならず、大江戸線の車両まで日々の検査や補修工事が行われているのだ。もともとはこの場所ではなく、駅の北西側にあったが、2004年に現在地に移転した歴史もある。北西側の旧車両工場、今は私立中学・高校のキャンパスに生まれ変わったが、近くにトンネルの入口跡が残っている。


猫の集まる無人駅 扇町駅(JR鶴見線)

 川崎の湾岸部を走る鶴見線には3つの終着駅がある。海芝浦駅、大川駅、扇町駅。海岸ギリギリにあって改札の向こうはもう東芝の敷地という海芝浦は鉄道ファンならずともよく知られているし、大川は日中8時間ほど列車がやって来ないという圧巻の運行本数の少なさはまさしく都会の中の秘境駅。

 そんな中で、“鶴見線終着駅三兄弟”の中で最も東にある扇町駅はどうにも地味なイメージがつきまとう。そもそも鶴見線は鶴見〜扇町が本線で、海芝浦・大川方面はそれぞれ支線。つまりは扇町が終着駅三兄弟ではいわば長男。長男とは良くも悪くも地味だったりするものだ。日中の運行は2時間間隔、でも川崎駅から10分おきにバスが出ているというあたりもまさに絶妙な長男らしさ。

 ただ、この扇町駅、一部では“猫の集まる無人駅”として知られている。確かに実際に足を運んでみれば、駅の構内そこかしこに猫の姿が。顔を洗う猫、眠る猫、そしてじゃれ合う猫。人が近づいても逃げようともしないあたり、かなり人慣れしているのだろう。

ホームにも

 ただ、駅の構内には「猫に餌をやらないでください」という貼り紙も。来訪者にとってはかわいい猫でも、地元の人にとっては迷惑な存在なのだろう。駅の中には、猫が餌としたと思しき残飯が転がっていた。扇町駅の猫、駅長への昇格はなかなか難しそうだ。

ネコだらけ

川崎大師ほどではないけれど 大師前駅(東武大師線)

 厄除けでお馴染みの大師様。川崎大師ほどではないけれど、初詣でも人気の高い西新井大師の最寄り駅が大師前駅である。東武伊勢崎線(スカイツリーライン)西新井駅から大師線に乗り換えて一駅、歩こうと思えば歩けなくもない距離だが、駅の北側に西新井大師の境内が広がるという利便性は参詣者にとってはなかなか好ましい。

なかなか立派な構え

 駅を降りて大師様とは反対側に少し歩くと環七通り。かつては環七を超えた先に瀟洒な駅舎を構えていたという。戦前にはさらにそこから西へと線路を伸ばして東武東上線の上板橋駅まで結ぶという壮大な計画もあった。結局この計画は頓挫したが、それでも大師前までは開業したのはやはり参詣客を当て込んだものなのだろう。なにしろ戦前の鉄道、京成の成田詣を例に引くまでもなく、寺社仏閣の参詣客をかなり重視していたのだから。

戦争の記憶とネバーランド こどもの国駅(東急こどもの国線)

 こどもの国線に乗ってこどもの国駅で降りてこどもの国へ。中に入れば牧場ありバーベキュー場あり足こぎジェットコースターあり、さらには太陽光で動くSLというなんだか矛盾した遊具もありの遊園地。つまり、こどもの国駅はさながらネバーランドへの玄関口というわけだ。いとも楽しきこどもの国。だが、その歴史を紐解くとなんとも複雑な想いを抱くことになる。

雨のこどもの国駅前。もちろん大人もいる
天気のいい日はこんな感じのこどもの国(2014年撮影)

 戦時中、こどもの国には陸軍の弾薬が置かれていて、こどもの国線も弾薬を運ぶための線路だった。弾薬が爆発して動員学生に犠牲者が出たこともあった。戦後も米軍が弾薬庫として使い続け、1961年の返還後にこどもの国へと生まれ変わったのである。そして、弾薬を運んだ線路はネバーランド行きの列車へと姿を変えて、こどもの国駅も誕生した。 

SL「太陽号」。蒸気じゃなくて太陽光で動くよ (2014年撮影)
弾薬庫跡。園内には戦争の記憶が点在する (2014年撮影)

 開業当時はまさにこどもの国のためだけの駅で、こどもの国線もこどもの国を運営するこどもの国協会が保有して運行だけ東急に委託するスタイルだった。ただ、ニュータウン化が進むとこどもの国線も通勤路線化し、施設の保有者はこどもの国協会からみなとみらい線を保有する横浜高速鉄道に変更されている。だから、駅舎や駅名標には横浜高速鉄道のマークが刻まれているのだ。

 ちなみにこどもの国、今上天皇のご成婚を記念して作られたという事情もあって、最近まで度々皇族が訪れている地でもある。そのため、こどもの国線にも“お召列車”が走ったことがある。弾薬庫の跡地に建てられたこの駅は、昭和の歴史の悲哀が詰まった終着駅なのである。

1959年4月の皇太子(現天皇陛下)のご結婚を記念して寄せられたお祝い金を基金に、1965年5月5日(こどもの日)に開園。園内にある「雪印こどもの国牧場」は皇太子ご夫妻(現天皇皇后両陛下)の希望により開業した。
園内にある白鳥湖にはボートもあります (2014年、ボートの中から撮影)

私鉄ターミナル好きにはたまらない 蒲田駅(東急多摩川線・池上線)

 東急東横線渋谷駅が地下ホームに移転して早4年。カマボコ型屋根が印象的な東横線渋谷駅ほど、“私鉄のターミナル”としての面影を持つ駅はなかった。あの渋谷駅の雰囲気を忘れられない東横線利用者は今も少なくないだろう。ならば、東急蒲田駅がおすすめである。

 東急蒲田駅は終着駅らしさを醸す頭端式のホームで、鉄骨がむき出しの武骨な屋根はいかにも東横線渋谷駅を彷彿とさせる。5面4線で池上線・多摩川線の2路線が乗り入れているあたり、実は東横線渋谷駅よりも規模が大きかったりもする。と、池上線と多摩川線が肩を寄せ合う蒲田駅だが、これも東急の歴史を知れば実に興味深い組み合わせだ。

ありし日の東急東横線渋谷駅を思い出す

 多摩川線はかつて目黒線と直通する“目蒲線”といい、東急電鉄の母体となった鉄道路線。そして同じ区間に鉄道を開業しようとしていた池上線(池上電気鉄道)と激しく争い、最後には五島慶太が“強盗慶太”の愛称よろしく池上線を買収して決着を見た。つまり、目蒲線蒲田駅が開業した1923年から約11年間、蒲田駅はライバル同士が肩を寄せ合う“呉越同舟”な駅だったのだ。

 そんな歴史も今は昔。現在の東急蒲田駅は1968年完成。東横線渋谷駅から遅れること4年であり、多分に渋谷駅を意識して作られたことだろう。今、京急蒲田駅までを結ぶ“蒲蒲線”なる計画がささやかれている。実現の可能性はともかく、そうなると“私鉄のターミナル”らしい駅がまたひとつ消えることになる。それはそれで、寂しい。

写真=鼠入昌史