昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

鈴木 敏夫
2014/12/17

賢人、日本の未来を予言する
ジブリとモノづくりの運命
アジアで日米アニメ戦争が始まる

宮崎監督引退に続いて制作部門解体。名プロデューサーの見つめる次の時代――

 

 宮さん(宮崎駿監督)が引退を表明してから、もう一年あまりが過ぎました。これはスタジオジブリにとってももちろんですが、日本のアニメ業界にとっても大きな節目だったと思うんです。

 とりあえずジブリはいま制作部門を解体して、小休止に入っています。二〇一四年に『思い出のマーニー』を撮った後は、次の映画制作の予定は立てていません。実は、二〇〇一年に『千と千尋の神隠し』を作った後も一時、アニメ制作を休んだ時期がありますが、時代が大きく動くときに、ジブリというスタジオに何が出来るのか模索する、そういう時間も必要だというのが、いまの僕らの判断なんです。

 では、いま我々が直面しているのはどういう節目なのか……、説明は難しいのですが、大きく言えば、日本のモノづくりと同じことがアニメ制作の世界でも起きている、ということなんです。

 近年、日本の大手メーカーの人たちに話を聞くと、かつての主力商品だけではなく、思いがけない事業に力を注いでいることがうかがえます。大手電機メーカーが農業部門に進出したり、自動車メーカーが住宅部門に力を入れたりといった話は、もはや当たり前になってきました。最近、富士フイルムが作った薬がエボラ出血熱の治療に使われるというニュースがありましたが、写真用のフィルムの代表選手が、医療部門に進出してすでに久しい。そして、生産拠点はどんどん海外に移転しています。

 ここにトトロの縫いぐるみがあります。ジブリでこれを最初に作ったのが一九九〇年頃だったと思いますが、はじめは四国の工場で作っていたんですよ。それがあるとき、韓国で作るようになり、中国へ行き、いまは東南アジアで作っている。つまり、韓国、中国も製作費が高騰してしまって、どんどん作る場所が動いていく。

 実は、これと同じことがアニメの世界でも起きるんです。結論から先に言えば、これから日本のアニメーションはおそらく東南アジアで作られるようになるでしょう。

アニメはソフト産業というより「モノづくり」

 宮さんは一九四一年生まれで、東映動画に入社したのが一九六三年です。歴史家の色川大吉さんの本で読んだのですが、庶民の暮らしでみると、江戸期の終わりから一九五〇年代くらいまでは、実は大きな変化はなかった。それが六〇年代になると一変する。色川さんは「生活革命」と呼んでいるのですが、農業人口が一気に減って、第一次産業から工業、モノづくりへと激しい勢いで移り変わっていくんですね。

 宮さんたちは、その巨大な波のなかで、アニメーションの世界へ入っていくんです。自分のことで言うと、一九四八年生まれ、団塊世代の僕が、アニメや宮さんに深入りしていくのが八〇年前後。いわゆるアニメ・ブームのただなかで、制作現場にも山のように若者が押し寄せてきました。ジブリもそんな熱気のなかで作品を作っていった。ちなみに、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は、始まった頃のジブリの精神を持ち込んだんです。企画ごとに人を集めて、終わったら解散。しかし、それがずっと続けられるかというと、これはこれで大変なんですよ。

 今の東南アジアを見ていると、ちょうど宮さんたちがアニメを作り始めた頃の日本と同じような状況にあるようにみえます。若者たちがたくさんいて、新しい産業に次々飛び込んでいく。そして、そこから新しい才能が生まれてくる。

 近年“クールジャパン”などとして取り上げられ、アニメはソフト・ビジネスのように思われている面もありますが、その制作現場は、多くのスタッフが技術と労働時間を注ぎ込む職人仕事の集積で、まさにモノづくりそのものです。だから、日本のメーカー企業が直面した問題は、そのままアニメの現場にもあてはまるのではないか、と僕は考えているのです。

 実際、タイ、マレーシア、台湾で優秀なスタジオがいっぱい出来ています。ベトナムでも始まりつつある。それは単に、労働力が安いから、だけではありません。国際的なアニメフェスティバルなどで短編アニメのコンテストを行うと、東南アジアの国々からグランプリや上位入賞作品が次々と生まれています。それをみると、作品のレベルがいかに高いかがわかる。それは制作現場の技術力の端的なあらわれです。

 僕は『トイ・ストーリー』シリーズや『ファインディング・ニモ』などを作ったピクサーとずっと付き合ってきました。いまや千数百人を抱える巨大スタジオですが、まだ社員三百人くらいの頃から知っています。当時はほとんどがアメリカ人、それも会社のあるサンフランシスコ近郊の人たちが多かったんです。それが気がつくと、アジア系の人たちがどんどん増えていた。

 聞いてみると、ピクサーに入るのは実は大変なんです。まず高校を出て、アニメの専門技能を身につける学校に行かなければならないし(ピクサーのアーティストたちが仕事の後レクチャーをする学校もあるほどです)、インターンとして現場経験も積まなければならない。高校を出てからピクサーに入るまでに、十年近くかかるそうです。

 そこに、東南アジアの子どもたちがたくさんチャレンジしている。そして、アメリカで技量を磨いたスタッフが、今度は本国に帰って自分のスタジオを開く。それで一気にレベルが上がってしまった。

 今、日本で何が起きているかというと、アニメーションというのは映画やテレビだけではないんですよ。たとえば二十兆円市場ともいわれるパチンコ。ここで使われるアニメのおよそ七~八割はタイで作られています。

 そして次に何が起きるか。日米による東南アジアのアニメーターの争奪戦です。そこで優秀なアニメーター、スタジオをいかに確保するか、という戦いが、もうすでに繰り広げられ始めている。よくiPhoneについて、アイデア、デザインはアメリカのアップル、重要な部品は日本、韓国、台湾で作られ、組み立てるのは中国で、と言われますね。それと同じようなことがアニメの世界でも起きつつあるのです。

【次ページ】ジブリは孤塁を守る?

はてなブックマークに追加