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竹嶋 渉
2014/06/03

韓国人にとって「反日」とは「道徳」なのである

韓国はいつまで反省を強いてくるのか(2)

道徳だから異議を唱えることなど許されない 「反日無罪」の論理に日本人はどう立ち向かうべきか

 ここ数年、報道などで「反日」という言葉を耳にすることが多くなった。言うまでもなく、中国・韓国で「反日感情」が高まっているのがその原因である。周知のように日本と中国・韓国の間には領土問題や歴史認識問題、慰安婦問題、靖国神社参拝問題、戦後補償問題などをめぐる葛藤があり、一般の中国人・韓国人も反日感情を昂ぶらせているのである。そして、その感情は年を追うごとに激しさを増している。ところが、日本では反日感情に対する研究をおろそかにしてきたこともあって、今に至っても韓国・中国の反日感情の実態がよく理解できておらず、その対処もろくになされていない。ここでは韓国の反日感情の実態を大まかに述べ、その対応方法について考えてみたいと思う。


 まず、そもそも、韓国人はなぜ反日感情を持っているのだろうか。韓国人が反日感情を持つ最も大きな理由は、日本の侵略行為に対する怨念である。「侵略」という用語に違和感を覚える方もおられるかもしれないが、ここをおろそかにしては反日感情を論じることはできない。日本人は「侵略」と考えていなくても韓国人は「侵略」と考えているからだ。そして、その侵略行為とは「倭寇」「文禄・慶長の役(壬辰倭乱)」「日韓併合」の三つである。侵略された側が侵略した側に怨念を抱くのは当然であって、これは何ら不自然な現象ではない。日本でもそうした認識のもと、指導者らが「侵略」に対する「謝罪」を繰り返してきた。そして、誠意をもって謝罪すれば反日感情は弱まっていくだろう、と考えていたフシがある。しかし、今となってはかなり甘い見通しであったと言わざるを得ない。反日感情とはそんなに単純なものではないからである。

 反日感情には「侵略に対する怨念」のほかに、「文化優越意識」に起因するものがある。遠く三国時代(高句麗・百済・新羅)から朝鮮時代に到るまで、韓国人(便宜的にこの用語を用いる)にとって日本人(倭人)とは「夷狄」、つまり野蛮人であった。その一方で自らは中華文明の恩恵にあずかる文明人で、人種的にも日本人より優等であると考えていたのである。これは現在もそうである。そして、前世紀に入って日本が韓国よりも発展したのは、日本人がいち早く西洋文明を模倣し、朝鮮を侵略したためであると見なしている。反面、日本の文化というのは高句麗・百済・新羅・高麗・朝鮮が伝えてやったものがすべてで、半島文化の亜流に過ぎないと考えている。日本独自の文化があったとしても、それは野蛮人の低水準な文化である。彼らが「万葉集は韓国語で読める」などと言ったり、相撲や剣道、華道や茶道、味噌や醤油などがすべて朝鮮半島を起源とするものであると主張するのも、この「文化優越意識」が原因である。明らかな民族的偏見や根拠のないデタラメも交じっているのだが、「侵略に対する怨念」が偏見やデタラメを正当化する根拠となっている。このあたりの事情は日本ではあまり知られていない。長らく「被侵略者である韓国人が人種的偏見を持つはずはない」などという勝手な先入観に惑わされてきた結果である。

「反日」に反対する者は「正気」ではない

 実は、韓国人が自らの反日感情や反日行動を指して、「反日」と呼ぶことは稀である。大抵の場合、「民族感情」「国民感情」と呼ぶ。韓国語の「反日(パニル)」という語彙には「日本に対する敵対感情・敵対行動」という意味合いがある。ところが、韓国人は自らの反日感情が日本に対する「敵愾心」に基づくものだとは思っていない(思いたがらない)。実際はそうなのだと指摘すると怒り出すことも多い。韓国人にしてみれば、自らの反日感情は日本の侵略に対する崇高な怒りであり、人間的にも当然な感情であり、かつ極めて道徳的なものであり、「敵愾心」などに基づくものではない、ということになる。だから、敢えて「反日感情」とは言わず、「民族感情」「国民感情」という語彙が用いられているのである。

 韓国で「民族感情」「国民感情」という用語が用いられている理由はもう一つある。「反日感情」は国民や民族が等しく共有すべき「道徳」である、という強固な思い込みである。だから、反日感情に基づく言説に少しでも異議を唱える者は反道徳的であり、「民族」「国民」ではなく、「民族反逆者」「非国民」である、ということになる。そうした者は韓国では「売国奴」「親日派(売国奴とほぼ同義)」として徹底的に糾弾され、社会的に抹殺される。そのため、韓国では反日感情には何らの批判も加えられない。日本については何を言おうと言いたい放題で、どこからも文句をつけられない。まさに「愛国無罪」ならぬ「反日無罪」状態なのである。こうした健全な批判のない土壌に健全な言説が育つ余地などあろうはずがない。そのため、年を追うごとに反日感情は過激さの度合いを増し、反日行動は奇矯さの度合いを増す、ということになる。ちなみに、韓国ではこうした「国民感情」「反日感情」を基盤とした国粋主義(としか言いようがない)を「民族正気(「精気」とも書く)」などという崇高な用語で呼んでいる。つまり、これに反する言動を取る者は「正気」ではない、ということである。そうした意味で韓国の反日は原理主義的で、一切の妥協的解釈を許さない。

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