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山本 一郎
2017/07/13

不寛容社会を生きるために必要なこと

「おたがいさま」から遠く離れて

 さっき電車でハムのように太った高齢女性がハイヒールで足を踏んできて痛かったんですけど、こういうとき人間は寛容であるべきかどうかって永遠の命題だと思うんですよね。騒ぎ立てても無益な気がするし、でも足は痛いし、いろいろ悩ましいのです。

この世は様々な怨念が渦巻いて構成されているのです

 昔、阪急の盗塁王福本豊が国民栄誉賞を辞退するにあたり言った言葉が「立ちションベンもできんようになるがな」という彼一流の表現だったのが記憶に残るんですよね。人間、100点満点、汚点のない人生を送ることなどできない、ましてや他人様よりも頭一つ出て、目立つ仕事をしようものならホコリの一つも出さずにいることなどできないというのはままあることです。ここまで読んで「お前が言うな」と思ったやつは首を吊って死ね。

 で、ここ数年の事件事故で何があったかなと思い返す機会があり、東京五輪でエンブレム問題を起こした御仁や、秘書に「このハゲーーーッ」と絶叫した女傑のことを思い返すと、まあ人間浮き沈みだよなと思うわけであります。また、名作漫画を描いた人、ノーベル賞をもらった人、世界に冠たるスマホメーカーを作った人、およそ偉業をなした人物やカリスマと言われる群像を思い返すに、どいつもこいつもまあ変わった人、困った人ばかりで、一個一個並べてみると「うわ、こいつら、なんて人間のクズなんだ」と思うエピソードばかりです。

 もちろん、やったことは凄いけど、人間性がゴミだという問題に直面した人は大変な心理的プレッシャーを負うことになり、あいつは許せんということになります。証拠や録音テープを持った被害者が週刊誌に垂れ込んで砲撃をかますことなど珍しくなくなりました。あいつはこんなひどい奴だ、こんな汚いことをした、ヤバい実態を知ってほしい、あんな奴は失脚すればいいのだ、様々な怨念が渦巻いて、この世の中を構成しているのです。

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