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「全然なかったです、夢も」 日比ハーフの少女がフィリピンパブの客引きとして汗を流した時代

『ハーフの子供たち』より #1

2020/05/16
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©iStock.com

「バイトが楽しくなっちゃったんです。最初にバイトしたのがミニストップです。その前から、お母さんのお店をちょっと手伝ってみたりしてはいたんですけど。ウェイターみたいなこと。たぶん、それがいま役だっているんですよね。みんながよく歌う定番の曲が自然とわかるんですよね。

 アルバイトは新鮮でお金を稼ぐっていうのがすごい楽しかったです。16歳でミニストップのバイトやりはじめて、18になってくると、またいろんな仕事ができるようになるじゃないですか。3つ掛け持ちしてましたね。学校そっちのけで仕事してました。昼はミニストップ、夜はフィリピンパブでウェイター。お母さんのお店も手伝いつつ。やっぱりね、若いときは体力ありますね。寝なくても平気でした」

「全然なかったです、夢も。ただひたすら働いてましたね」

「そのころ、レインさんは、将来自分がこんな仕事をしたいなという夢はありましたか?」

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「全然なかったです、夢も。ただひたすら働いてましたね」

「お母さんも働き者のイメージがあるしね」

「そうですね。それを受け継いだのかな。弟もなかなかいい仕事、医療関係をやっているし」

「まだレインさんが歌手になった話が出てこないんですが。次は何を」

「今度あれをやりはじめるんですよ。フィリピンパブの客引き」

「客引き?」

「はい」

 いまは客引きというと迷惑防止条例やらなにやらで厳しく罰せられるが、レインがフィリピンパブの客引きをしていたころは比較的自由にできた時代だった。

 同じ客引き仲間でキャバクラ店の客引きがいて、仲良くなり、「じゃあ、うちでやらない?」という話になりキャバクラの客引きになった。

「いまは条例でダメですけど、そのころは大丈夫だったから、もう客引きはうじゃうじゃいました」

キャバクラスタッフとして1日12時間労働

 様々なアルバイトを経験してきたレインにとって、もっとも過酷な現場が客引きだった。

「冬は寒くて雪の日なんか足とか冷たくなるし、夏は暑いし、辛かったですね。客引きはそれでも1年くらいやってました」

「客を呼び込むコツみたいなのあります?」

「話をうまくつなげて、仲良くなってってことですね。そのままお客さんをお店に連れて来て、自分がウェイターやると、寒い外から暖かい環境にいられるから。だから、早くお客さん入れようみたいな。アハハハ。フィリピン生まれだから寒いの苦手です。暑いのも嫌ですけど、寒いのが一番嫌ですね」

 働きっぷりが認められ、レインは店の厨房もまかされ、ホール、ウェイターの仕事までやるようになった。夕方4時出勤、明け方4時終業、1日12時間労働をやりつづける。

「コンビニのアルバイトも無駄じゃなかった。キャバクラに来てお客様への丁寧な言葉遣いにも役だったし、タバコ吸わないわたしがお客さんから“タバコ買ってきて”と言われて銘柄全部迷わずに買えたり」

 水商売は精神主義的なところがある。

 毎週土曜日は全店のスタッフが集合して翌朝10時までミーティングがおこなわれる。

 休みの日は日曜日だけだが、朝までミーティングがつづくので家に帰ったら寝るだけだった。