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連載この鉄道がすごい

通勤線化20周年、東急・こどもの国線はレジャー路線から変貌をとげた

戦時中は弾薬・砲弾輸送のための軍用路線だった

2020/06/19
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 東急電鉄と言えば「銀色の通勤電車がビュンビュン走る」イメージだろう。東横線、目黒線、田園都市線、大井町線が当てはまる。一方、池上線、多摩川線は都会の中のローカル線だ。3両編成の小ぶりな電車がスイスイ走る。沿線の駅前には昔ながらの商店街がある。そしてローカルな雰囲気が楽しい世田谷線。路面電車の規格で街中を走る。線路際の民家が四季折々の花を植えており、2両編成の電車がトコトコ走る。

 そんな東急電鉄の路線網で「こどもの国線」が異彩を放つ。田園都市線の終点に近い長津田駅を起点とし、こどもの国駅に至る。路線距離は3.4kmで、世田谷線の5.0kmより短い。途中駅は恩田駅ひとつだけ。東急電鉄の路線網で唯一、複線化されていない。2両編成の電車が行ったり来たり。平日の通勤時間帯は11分おきに運行され、日中と土休日は20分おきに走る。

こどもの国線は東急電鉄唯一の単線。

東急は旅客輸送を担当、施設は横浜高速鉄道が保有

 乗車方法が変わっている。長津田駅には改札口がない。こどもの国線の乗り場は、田園都市線の長津田駅の改札外だ。きっぷを買わず、IC乗車券もタッチせずに電車に乗れる。ただし、恩田駅とこどもの国駅には自動改札機があるから、そこで精算する仕組みだ。こどもの国線は均一料金だから、こどもの国駅や恩田駅から乗る場合は先払いとなる。

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 なぜ東急がこんな路線を持っているかというと、もちろん「こどもの国」があるから。こどもの国は、自然を活かした広大な土地に作られたレジャー施設だ。動物や植物と親しみ、スポーツ施設もある。乗りものアトラクションもある。ただし、この施設は東急グループではない。実は「こどもの国線」も東急電鉄の線路ではない。第三セクターの横浜高速鉄道が施設を保有し、東急電鉄が旅客輸送を担当している。その経緯が興味深い。

こどもの国線の電車Y000系。長津田駅にて

もともと横浜線と繋がっていた軍用線

 後にこどもの国線となる線路は、1942(昭和17)年に開通した。戦時中だ。まだこどもの国はなかったから「こどもの国線」ではなかった。何があったかというと陸軍の弾薬製造工場だ。正式には「東京陸軍兵器補給廠田奈部隊・同填薬所」という。日本最大の弾薬製造工場で、戦車砲、高射砲の砲弾を製造した。そこに材料を運び込み、完成した砲弾を積み出すために作られた軍用路線が「こどもの国線」の先祖である。なにしろ日本最大の弾薬工場だから、トラックでは輸送力が足りない。鉄道の本領発揮だった。

 国鉄(鉄道省)の貨車で輸送したから、線路は国鉄の横浜線に繋がっていた。田園都市線の長津田到達は終戦のずっと先の1966年、東海道新幹線開通の2年後だ。

こどもの国駅。通勤化20周年の横断幕がある

 弾薬製造工場は戦後「田奈弾薬庫」として米軍に接収された。この120ヘクタールの土地の接収解除、返還にあたって「こどもの国」が計画された。返還の調印は1961年5月5日。その2年前の1959年4月に当時の皇太子殿下、現上皇陛下がご結婚された。それを記念するための事業として、国費のほか、民間企業や個人の寄付を元に建設された。開園は1965年5月5日のこどもの日だ。