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日本人は休むのが下手で、頑張ればうまくいくと思い込み過ぎなのではないか

2017/08/31
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悪い努力信仰とは何か?

 悪い努力信仰というのは、度の過ぎる「とりあえずやってみよう」から「結果が出ないのは頑張りが足りないからだ」という、努力すること自体が目的になってしまうことで、努力の方向が目標からずれてしまい、まったく無駄な努力を重ねてただただ疲れるということです。正しくない努力をしても結果が出ない、結果が出ないからもっと頑張れという話になって、100メートルダッシュを100本走らされる高校球児が可哀想だなという話になるわけですね。

 企業組織の話でいうと、そういう間違った努力を強いる組織は、やり方に疑問を覚えるまともな人から去っていき、努力することが目的になる人たちだけの集団になってしまうため、東芝みたいな「チャレンジ」という名の粉飾まがいが平然と起きてしまうことになります。間違った努力は高校野球にも一部上場企業にも霞が関や官邸にもあるものであって、一度やると決まってしまうとどうにもとまらない山本リンダ状態になります。若い人がついてこれないネタを挟んでしまい本当に申し訳ございませんでした。

 なもんで、現場での仕事とマネージメントの意志決定をつぶさに観察すると、大概において無駄な努力を強いる組織というのは明確な目標が設定されていないことに気づくことが多いのです。「売上何%アップが目標だ」というのも結構ですけど、それを実現するためにどうブレークダウンするかがマネージメントです。売上をアップさせるために、ユーザーにこういう経験を提供できるものだと定義し、人員はこれだけ拡充しよう、商品やサービスはこう告知し、こんなチャネルで展開しようという作戦にまで落とし込めて、初めてマネージメントであり運営であり経営です。

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両足を縛って100メートルダッシュするような指示か、放任放置

 しかし、実際に起きていることは、膨大な仕事を上から降らせておいて「18時には全員帰社しろ」というような、両足を縛って100メートルダッシュさせるような指示か、とりあえずできることからやれという放任放置型のマネージメントです。まあ、成果の出ない組織ってだいたいそういうことばかりをやるんですよね、残念ながら。

 それもこれも、どうやったら成果が出るのか、方法を考える時間か能力がマネージメントする側にないケースがほぼ全部です。根性論で頑張るトップは、現場が苦労しているところは率先して監督するべきという考え方でいる人も多かったりして、雨の降る中ランニングしている野球部員をずぶ濡れで見守るのが良いマネージメントだと信じている人たちがいっぱいいます。風邪ひくだろ。いわゆる「人の上に立つボスよりも、人を引っ張るリーダーでありたい」と考えるエグゼクティブも中間管理職も「お前の引っ張っていっている先に崖はないのか」ということはよく考えるべきだと思うのです。