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『鬼滅の刃』『コナン』100億級が毎年のように…「アニメ映画の国民的娯楽化」の裏の苦境

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2020/12/01

genre : エンタメ, 映画

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禰豆子がつぶやいた重要なテーマ

※以下、『鬼滅の刃』の終盤の内容に触れています。

 こうした短編映画からの新しい才能のピックアップは、ミニシアターという「場」が可能にするものだ。YouTubeなどで、作品発表の場はアマチュアに開かれたものの、1再生あたり0.1円と言われるYouTubeの収益では仮に100万回再生の大ヒットでも入るのは10万円、アマチュアであれ、映画の製作費をまかなうにはとても足らない。人気ユーチューバ-は毎日のように実況型の動画を大量投稿するが、何ヶ月、時には年単位の労力をかけてたった1本の短編を仕上げる映像作家がその中で埋もれず収益を上げるのは至難と言っていい。

 これまでも新しい才能を支えてきたミニシアターは、ネットの動画文化で生まれる才能が映画文化の初舞台を踏むためのはじめの一歩、武道館とインディーズをつなぐライブハウスのように重要な場所なのだ。

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 アニメーターの労働環境にせよ、ミニシアターの危機にせよ、それらは日本のアニメや映画を支える根や幹の部分であり、メディアを賑わせる「100億越え」の大ヒットコンテンツはその枝の先に実った果実に過ぎない。『鬼滅の刃』のヒットが日本記録を塗り替え、世界的に注目される今こそ、作品を支える下部構造、根や幹を「自助」にまかせず「公助」が守る時ではないのだろうか。

©iStock.com

 最後に冒頭の『鬼滅の刃』の話題に戻ろう。今回のヒットで作品を知った上の世代のファンたちがよく語るのは、最大のメジャーヒットとなったこの作品の中にある過去の作家たちの面影、それも同じジャンプ漫画の大ヒット作ではなく、近藤ようこや高橋葉介、ふくやまけいこやひさうちみちおといった漫画通に深く愛された作家たちの作風との共通性である。

 若い作者が実際にどれほど直接的な影響をそれらの作家から受けているのかは不明だが、『吾峠呼世晴短編集』などの作品を読んでも、この作家が異端から生まれた新しい正統、メジャーとマイナーの混血であるということは強く感じる。そこにあるのは「弱いもの、小さなもの」へのセンシティブな共感である。

(ネタバレにはなるが)『鬼滅の刃』原作の最終回前のクライマックスでは、この作品の最も印象的なヒロインである竈門禰豆子が兄を抱きしめながら「どうして一生懸命生きてる優しい人たちが いつもいつも踏みつけにされるのかなあ」とつぶやく。それはヒットの金額だけに注目されがちなこの作品の最も重要なテーマであり、漫画や映画という文化を支える多くの職人たち、そして私たちの社会全体への問いかけにも聞こえるのだ。

『鬼滅の刃』『コナン』100億級が毎年のように…「アニメ映画の国民的娯楽化」の裏の苦境

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