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紅白落選も必然だった…AKB48が急速に「オワコン化」してしまった4つの理由

AKB48はなぜ凋落したのか #1

2020/12/27
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 AKB48は、2016年まではビルボードでも上位を占めていた。しかし、2017年以降にランクが徐々に落ちていく。ビルボードがチャート指標の比重を変えたからだ。実際、この3年で音楽需要はCDからストリーミングへかなりシフトしている。ビルボードはリスナーの音楽環境に適応しているのだ。

 結果、AKB48グループは発売初週こそビルボードではトップになっても、翌週以降は大幅に順位を下げるようになる(これは一部を除いてネット対応していないジャニーズの多くも同様だ)。

 この音楽ランキングのルール変更によって、AKB48は“人気錬金術”ができなくなった。

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“ポスト指原”を生み出せなかった

 次に、AKB48人気の退潮要因として挙げられるのは、指原莉乃など中心メンバーの相次ぐ卒業・離脱だ。

 指原は、2009年から2018年まで10回おこなわれた選抜総選挙で4回もトップに立つほどの人気だった。前田敦子や大島優子を中心とした初期の人気メンバーが卒業していった後に、AKB48を支えた存在だった。そんな指原が2019年4月に卒業した。2018年の総選挙にも参加せず、卒業は既定路線だった。

2019年に行われた卒業コンサートでの指原莉乃 ©時事通信社

 残されたメンバーに、指原の穴を埋める存在はいなかった。2018年の総選挙で1位となったSKE48の松井珠理奈の人気は一般化せず、韓国のオーディション番組『PRODUCE 48』を途中降板した後に、体調不良で活動を休むことが増えていった。

『PRODUCE 48』で人材が流出

 人気メンバーとして期待されていた宮脇咲良は、同じく『PRODUCE 48』を機に韓国に渡り、IZ*ONEのメンバーとなってK-POPの世界で大活躍をしている。2021年4月までの期間限定での活動ではあるが、IZ*ONEはK-POPのガールズグループのなかではBLACKPINKとTWICEに次ぐ人気を維持している。

 また、同じ番組でファイナルまで残った高橋朱里も卒業して韓国に渡り、Rocket Punchの一員としてデビューした。高橋は、次期総監督との呼び声も高かった存在だ。秋元康がプロデューサーのひとりに名を連ねた『PRODUCE 48』は、結果的に人材の流出に繋がった。

矢作萌夏がセンターを務めた「サステナブル」(キングレコード)

 2019年9月には、新たなスター候補として当時17歳の矢作萌夏をセンターに抜擢する。が、その1ヶ月後に矢作は卒業を表明。大きな期待を背負った彼女がセンターを務めた曲が「サステナブル」だったのは、もはや皮肉のようですらあった。なお、現在芸能界から姿を消した矢作は、大手プロダクションに移り再デビューの準備をしているという噂があとを絶たない。