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【日本シリーズ】工藤公康が「余計なこと」をした1986年西武vs広島の日本シリーズ

文春野球コラム 日本シリーズ2017

2017/10/29
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【監督・梶原紀章からの推薦コメント】
 日本シリーズと言えばライオンズ。私の子供の時はまだ日本シリーズはデーゲームで、授業の間になんらかの手段でテレビでチラ見した時のなんとも言えない優越感は忘れられません。ということで中川さんには王者ライオンズのレガシーを感じられるコラムを期待しています!

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史上初の8試合を戦ったシリーズ

「にっぽんシリーズ」なのか「にほんシリーズ」なのか。活字媒体ではあまり意識することはありませんが、電波媒体ではよく話題にのぼることなのです。チケットやロゴには「NIPPON SERIES」と記されていますが、一般ファンのこだわりは少ないでしょう。私が『CSプロ野球ニュース』のMCを担当していた時、プロデューサーの意見で「“にっぽん〜”で統一しましょう」となりました。ところが、比較的若い(といっても50代ぐらい)出演者は何とかこなしましたが、年配解説陣は馴染めませんでしたので、その後は立ち消えの形になってしまいました。呼称に神経を使うより、話の内容が重要ですので、それも理解できます。余談ですが、巨人OBの年配の方々は「選手権」という表現をします。理由は不明ですが。

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 過去の西武絡みの日本シリーズに関してはそれぞれの思いがあります。巨人、阪神、横浜、中日との戦いは交流戦の時期に書きましたので、今回は、1986年の対広島戦を振り返ってみたいと思います。西武・森祇晶監督、広島・阿南準郎監督ともに就任1年目の対戦が話題となって始まりました。広島市民球場で行われた第1戦は、序盤に2点を取った西武がそのまま逃げ切るかと思われた9回ウラの一死から東尾修(元西武監督)がソロ2発を打たれ同点。そのまま延長14回まで進み、引き分けで史上初の8試合戦うシリーズの幕開けとなりました。

 その後、西武は接戦を落として3連敗。後がなくなった第5戦は、延長12回ウラに公式戦では打席に立たない工藤公康(現ソフトバンク監督)がライト線を破るサヨナラ打。その直前に達川光男(現ソフトバンクヘッドコーチ)に厳しい内角攻めをしたため、「(捕手の)達川さんは、絶対にボクにも内角を攻めてくると思っていました」と読み勝ちを強調していた工藤。この2人、現在行われている戦いで、同じベンチの中で作戦を立てているのも何かの縁でしょう。ちなみに、ある先輩がこの5戦後に「(工藤)キミヤスが余計なことしなければ、(6戦以降戦わずに)ラクができたのに」と軽口を叩いたのもご愛嬌。

86年の日本シリーズMVPに輝いた工藤公康(現ソフトバンク監督) ©共同通信社

 舞台を広島に戻しての第6戦も取って、流れは西武に傾いていましたが、9回に死球を受けた正捕手の伊東勤(前ロッテ監督)の状態が心配されました。傾きかけた太陽が照明塔の影を作り、バッテリー間が暗くなっていて「一瞬ボールが消えた」(伊東)ため、投球が左の頬を直撃し担架で運ばれました。首脳陣も翌日以降の出場は無理との見解でした。

 ところが、翌日第7戦の試合前練習に姿を見せた伊東は元気そのもの。死球直後の様子を聞いたところ「救急車に乗せられて、(道路にある路面電車の)線路のデコボコがしんどかった。あれ、どうにかなりません?」と余裕のコメント。その死球の場面をテレビ観戦していた加代子夫人。当時は顔見知り程度でしたが、これを機に急接近しゴールイン。まさに「災い転じて福となす」でしょうか。そして試合は松沼博久、郭泰源が好投し、逆王手をかけました。

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