“最高の巨人”と“最強の西武”が激突する日本シリーズ

「今日の午後は特別に視聴覚室で日本シリーズを観まーす」

 給食の時間に担任の原島先生はなぜかドヤ顔でそう宣言した。ここで「先生、あんたが観たいだけじゃねえか」なんて突っ込みは野暮だろう。純粋に「よっしゃあああああ!」とほとんど涙を流しながら絶叫する半ズボンの男子たち。「この人たち馬鹿じゃないの」と淡々と給食のソフト麺を食べ続ける女子たち。80年代後半から90年代初頭、まだ日本シリーズがデーゲーム開催だった時代の話だ。あの頃、俺らにとってブラウン管の向こう側の原辰徳や秋山幸二はどんな綺麗なおネエちゃんよりもキラキラしていた。

男子たちの憧れだった原辰徳 ©文藝春秋

 自分たちは所沢で西武ライオンズがスタートした1979年に埼玉で生まれた、“ライオンズ・ベイビーズ”である。物心ついた時から巨人は憧れの東京のチーム、西武は地元の自慢のチームという感覚。セは巨人ファン、パは当然のように西武推しというケースが多く、夏休みのプール教室へ行く時はYGマークとレオマークの野球帽できっちり人気が二分されていたリアル。

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 『ファミスタ』の対戦では延々とガイアンツ対ライオネルズが繰り返された放課後の風景。あれから30年近く経ち、今回の文春野球では、当時父親の運転する車のカーラジオから流れる『文化放送ライオンズナイター』でコメンテーターを務めていた中川充四郎さんとコラム対戦をすることになった。思えば、遠くに来たもんだ。俺もあなたもプロ野球も。

 80年代から90年代にかけて人気最高の巨人、そして実力最強の西武が激突する日本シリーズはまさにナショナル・パスタイム、“国民的娯楽”だった。今のように交流戦や侍ジャパンもまだ存在しない球界の年に一度のガチンコ勝負。もちろんスマホもなければネットもない。意地でも会社をサボり喫茶店のテレビに群がるスーツ姿のお父さんたち、学校の視聴覚室でクラスみんなで拍手を送ったあの日本シリーズ。この時代、巨人と西武は83年、87年、90年、94年と計4回日本シリーズで顔を合わせているが、94年以外はすべて西武が巨人を下して日本一に輝いている。多くの巨人ファンにとって最強西武は、思わず「野球観が変わった」と岡崎郁ばりに呟いてしまうほど強かったわけだ。

五輪やサッカーW杯級の視聴率を叩き出した黄金カード

 いったいGL決戦はどれほどの注目度だったのか? ビデオリサーチ社調べの日本シリーズ歴代テレビ視聴率ベスト10(関東地区)では、なんと10試合中6試合を巨人対西武が占めている。83年シリーズは第2戦41.0%、第5戦41.8%、第7戦40.2%。しかも5戦と7戦は平日昼間開催だ。マジでみんな仕事は大丈夫か……と心配したくなる異常な野球熱。もはやほとんどオリンピックとかサッカーW杯クラスの世間的な関心度と言っても過言ではないだろう。

 前年にサッカーJリーグが開幕して野球人気の危機が囁かれた94年の日本シリーズは30年ぶりの平日ナイター開催。するとまたもその平日3試合すべてが視聴率40%超え。凄いを通り越して、怖い。これぞ長いプロ野球中継史における伝説のキラーコンテンツである。

 もちろん視聴率だけでなく、歴代シリーズの試合内容も名場面の連続だった。両チーム初激突となった83年は“史上最高の日本シリーズ”と称される逆転に次ぐ逆転のスリリングな展開。元巨人のスター選手、広岡達朗監督率いる西武は2勝3敗と王手をかけられながら、ビデオを擦り切れるほど見て研究した江川卓・西本聖の二本柱を打ち崩し執念の逆転日本一に輝く。

 その4年後の87年は、あの清原和博がドラフトで裏切られた相手「打倒・王巨人」を心に誓い、日本一直前に一塁守備位置で歓喜の涙。全国の野球ファンや放送席のゲスト吉永小百合も思わずもらい泣き。ついでに巨人ファンはクロマティの怠慢守備に男泣き。このシリーズ第3戦に先発した怪物・江川は現役最後の登板となった。

87年の日本シリーズ第3戦が現役最後の登板となった江川卓 ©文藝春秋

 3度目の対戦はバブル真っ只中の90年。時代は昭和から平成へと移り変わり、ローリング・ストーンズやポール・マッカートニーといった大物歌手が続々とジャパンマネーに吸い寄せられ初来日。そんな狂乱と喧噪の中で黄金時代を迎えていた西武は藤田巨人を怒濤の4タテ。戦力的にも絶頂期の西武の強さは圧倒的で、4試合とも4点差以上の圧勝。MVPはカリブの怪人デストラーデだ。そして90年代最後の対決となった94年、長嶋監督率いる巨人が4度目の対戦でようやく11年越しのリベンジを果たすことになる。MVP槙原寛己、優秀選手は桑田真澄と意外性の助っ人コトー。第2戦の9回表に飛び出したセンター屋鋪要のダイビングキャッチは今でも語り草だ。

94年の日本シリーズでMVPに選ばれた槙原寛己 ©文藝春秋