映画には、決して触れてはいけない領域に存在する、伝説の傑作がある。
それらは、安易な続編やリブートを許さず、特別な地位にとどまって、後続の作品やカルチャーに影響を与え続ける。
『ブレードランナー』は、そんな伝説的な作品のひとつである。
「ブレラン」の洗礼を受けた人間は、それ以前にはもう戻れない
1982年に公開されたこの作品は、その斬新なビジュアル、美学、テーマによってカルト化し、多くのフォロワーを生んだ。ハイテクとデッドテックが混在したレトロフューチャーな舞台設定、自己と他者、虚構と現実が曖昧になった世界での聖杯探求、エンタテインメントによって「人間とは何か」という哲学的なテーマを語ること。映画、アニメ、ゲーム、音楽、小説といった表現ジャンルだけでなく、ファッションなど、あらゆるカルチャーに影響を与えた。
「ブレラン」の洗礼を受けた人間は、それ以前にはもう戻れない。それほどのインパクトをもたらした「ブレラン」は、永遠の存在なのだ。
だから、影響を受けた作品がつくられることはあっても、「ブレラン」そのものの続編やリブートがつくられることはない。もう一度『ブレードランナー』をつくる必要も意味もない。誰もがそう思っていた。私もそう思っていた一人だ。
だから続編の企画が動いている、という話を耳にした時は、心底驚いた。誰がやっても成功するとは思えなかった。ハリウッドの“ユニバース化”戦略にこの傑作も飲み込まれてしまうのか、と懸念した。何よりも「ブレラン」の神話が汚されることを危惧した。
しかし、この蛮行に挑もうとするのが大好きなドゥニ・ヴィルヌーヴだと知って、気持ちは揺らいだ。『灼熱の魂』『プリズナーズ』『複製された男』と、傑作を連発していた天才監督がオファーを受けたのだ。だが、期待する一方で、不安は消えなかった。
完成した『ブレードランナー2049』を観るまで、それは変わらなかった。