今から154年前の慶応3年(1867年)11月15日、京都近江屋で坂本竜馬が正体不明の刺客団によって暗殺された。土佐藩出身で海援隊を組織し、薩長同盟締結の立役者である竜馬には敵が多かった。

 竜馬の敵討ちを決意したのが、海援隊で部下だった紀州藩士の陸奥陽之助。維新後、宗光と名前を変え、日清戦争時には外務大臣を務めた大物だ。

 討ち入りに際し、陸奥が頼ったのが剣客である「後家鞘(ごけざや)の彦六」だった。彦六は後に土居通夫と名を改め、新政府の大阪府権知事、兵庫裁判所長を経て財界に転じ、大阪商工会議所会頭となった。

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 陸奥と彦六を結びつけたのが、京娘のお桂である。坂本竜馬との奇妙な縁で結ばれた3人の復讐譚を、司馬遼太郎原作の『幕末』コミカライズ版からご紹介する。

竜馬を襲った謎の刺客団

 京都の近江屋二階にて、坂本竜馬とその同志、陸援隊の中岡慎太郎が何者かに襲われる。坂本は即死、中岡は2日後に死没した。

 
 

 坂本の形見の印籠を手にした陸奥陽之助は、敵討ちを誓う。頼ったのは、京都の材木商・酢屋のお桂だった。

 
 

 坂本を襲ったのは、新選組らしい……。陸奥は海援隊と陸援隊の残党から同志を選ぶが、名誉の剣客がいない。そこで、坂本に恩義があるという「後家鞘の彦六」という居合の達人を呼ぶことにした。その連絡役を、お桂に頼みに来たのだった。

 

 お桂は、陸奥の頼みを受諾し、舟で大坂へ下る。お桂は坂本に20両の借りがあったのだ。婚期の過ぎたお桂に後妻の話がきた。しかし、婚礼費用がない。その話を小耳にはさんだ坂本が、20両を出してくれたのだった。

 

 大坂でお桂は身分を隠して彦六を探すが、いまは武士をやめ、高利貸しの手代をしているという。お桂は「坂本町のお竜(たつ)が来た」と伝言を残す。彦六に武辺の心が残っていれば、きっと来るはずだ。