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「夢は『美 少年』を高野山米國別院の舞台に立たせること」LAでブロマイドを売っていたジャニー喜多川の青春時代《真珠湾攻撃から80年》

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2021/12/08
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寺は生涯忘れ得ぬ場所

 フランシスさんは、その後、名門、南カリフォルニア大学を卒業。就職、結婚、出産、子育てと、人生を重ねていくなかでも一貫して別院の活動に勤しみ、現在は総代を務める。

 一方ジャニーは、渡米翌年の1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米国籍のため米陸軍に徴兵された。朝鮮半島での兵役を終えた彼はアメリカに戻らず、中継地の日本に留まりジャニーズ事務所を創設する。

 そんなジャニーにとって、別院は、青春の一時期を過ごした生涯忘れ得ぬ場所だった。別院檀家代表のリチャード・ナルミさん(62)が、ジャニーの晩年を振り返った。

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美 少年 ジャニーズアイランドネットより

「ジャニーはロサンゼルスに来ると、必ず別院に寄って寄付をしてくれました。2018年には、ジャニーから事務所所属の人気グループ、『美 少年』を別院で公演させたいとオファーがありましてね。僕らは、驚くやら、うれしいやら。彼らを高野山米國別院の舞台に立たせるのが、ジャニーの夢とのことでした」

「美 少年」の別院コンサート、「ありがとう高野山」は2019年8月に実現した。それは、ジャニー喜多川の逝去からわずか1カ月後、“美少年”だったヒー坊がフランシスさんと写真に収まってから70年後のことだった。

「美 少年」を高野山米國別院の舞台に立たせるのは、ジャニー喜多川のたっての夢だった(YouTube「ジャニーズJr.チャンネル」)

(文中一部敬称略)

「夢は『美 少年』を高野山米國別院の舞台に立たせること」LAでブロマイドを売っていたジャニー喜多川の青春時代《真珠湾攻撃から80年》

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