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ヤクルト・嶋基宏の今季初打席、併殺打で起きた“拍手”に関する一考察

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/07/01
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「嶋は毎試合出場しています」

「僕から見れば、嶋は毎試合出場しています。ベンチの中にいて、彼の頭脳はフル回転しながらリードを考えています。ベンチの中でいつも、“ここはこうかなぁ?”って独り言を言っています。仲間に声援を送っています。身体はベンチの中にいるかもしれないけど、頭は全試合出場しているんです」

 石川の言葉はとても熱かった。プロで実績を残している大ベテランがここまで絶賛する男、それが嶋なのである。その嶋が今シーズン初出場したこと。今年も背番号《45》の躍動する姿を見ることができたことは、本当に嬉しかった。一塁側ベンチ前で、レガースを装着した状態でキャッチボールを始めた嶋の姿を見たときには胸がときめいた。神宮球場に響き渡る場内アナウンスを聞いたときには、思わず「よしっ!」とつぶやいた。それは球場全体が、同じ思いを共有しているかのような実にいい空間だった。

僕らは、もっともっと嶋が見たい!

 前述したように嶋の打球は平凡なショートゴロとなり、懸命に駆け抜けたものの併殺打に終わってしまった。試合はすでに大差がついていた。勝敗を決する場面ではなかった。ハッキリ言ってしまえば、ここで嶋が打とうと凡打に終わろうと、試合に大きな影響はなかった。もちろん嶋のヒットが見たかったけれど、今季初打席だ。いきなり結果が出なくても仕方ない……。僕はそんなことを考えていた。

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(次は頼むぞ……)

 この瞬間の、僕自身の姿は記憶にない。もしかしたら、僕もまた拍手をしていたかもしれない。しかし、それは「次は頼むぞ」という思いからのアクションだったと思う。ひょっとしたら、このとき神宮を包んだ「温かい拍手」も、僕と同様の思いから生まれたものだったのかもしれない。

僕らは嶋に敬意を抱いている

 しかし、同時に僕はこんなことも考えていた。僕も含めた、多くのヤクルトファンは嶋に対して感謝の思い、そして敬意を抱いている。だからこその、「次は頼むぞ!」という温かい空間が現出した。でも、当の嶋にとってはこの拍手は決して嬉しいものではなかったのではないだろうか? 勝負の世界で生きる者にとって、失敗に終わって拍手をもらうことは、むしろ屈辱的な出来事なのではないのだろうか?

 勝負を左右する大事な場面で凡打に終わったとしたら、多くのファンはガッカリすることだろう。あるいは失望することもあるし、ひょっとしたらヤジを飛ばしたくなることもあるかもしれない。けれども、大差がついていたこと。待望の嶋が見られたこと。これまでの感謝の思いがあったこと。こんなことから、つい「凡打に拍手」が意図することなく、思いのほか大きくなってしまったような気がするのだ。

僕らはまだまだ嶋を必要としている

 テレビ中継を見ていたわけではないけれど、江本氏の指摘は正論だと思う。それを「エモやん節」と言ってもいいものなのかどうかはわからないけれど、ヤクルトファンの心情を考えると軽率な発言ではあった。その一方で、実際に拍手に「加担」したかもしれない僕からの言い訳としては、決して嶋に期待していないわけではないけれど、あのときは「ただ嶋が目の前にいるだけで嬉しかった」という思いが勝りすぎてしまったのだ。

 言い訳がましいことをツラツラと書き連ねてしまったけれど、声を大にして言いたいのは、「僕らはまだまだ嶋を必要としている」ということだ。もっと打って、もっと守って、もっと声を出して、チームを2年連続日本一に導いてほしい。そして、ぜひ次回は会心のヒットを見せてほしい。会心のリードを披露してほしい。まだまだ僕らは、嶋基宏が見たい。もっともっとヤクルトは、嶋基宏を必要としている。

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