文春オンライン

2018年を退屈しない物騒な年にするために

なぜ私は喧嘩してしまうのでしょうか

2018/01/01
note

なぜ私は喧嘩してしまうのでしょうか

 いけない。こんなことではいけない。そう思った年の瀬、新年を何度迎えたでしょうか。今年こそは円熟した大人の魅力を見せつけられるような、紳士的で温和な人格を備えてどーんと構えて実り多い一年にするのだ、と。毎年のように思います。誓います。祈ります。そう意気込んだのに、新年の早朝、神田明神に向かうおっさんと肩がぶつかって睨み合いになる元旦を迎えると本格的に意気消沈するわけであります。初日から「穏やかな一年を過ごす」という目標をいきなり台無しにしてしまう私の気持ちが分かりますか。分かるよな。そう、良いことも悪いことも、全部自分の中に原因があり、それが映し鏡のように自分に跳ね返ってくるのですよ。神は見ておられる。自分のありのままに生き、自分に誠実に暮らしていくために必要なものを揃え、家族を大事にし、期待に応えるよう努力を惜しまない。そんな自分であれと思ったのに、なぜ私は喧嘩してしまうのでしょうか。もういい歳なのだ、落ち着くべき時期なのだ、老けた立ち居に見合った大人の貫禄と風格を兼ね備えた人物にならねばならないと思っているのに、世の中のいろんなものにどうしてもケチをつけたくなってしまうのです。なんか腹が立つ。残念なモノを見ると、つい口を出したくなる。大きなお世話だと分かっているのに、自宅の前に置かれている違法駐車を見かけるとこの黄金の左手がなめらかな手つきで携帯電話をポケットから出し無意識のうちに110番を押してしまう。警察呼んだ後に流れるように証拠保全の写真を撮っている自分にハッと気づいて自己嫌悪に陥ります。私はいったい何をしているのだ。だめだだめだ、いやこういう45歳ではいけない、今年こそは、無事に穏便に第三者に砲撃を喰らわせるような真似は控えて立派な日本国民にならねばならないのです。

©iStock.com

のどかで平和な山本一郎という自分改革

ADVERTISEMENT

 一時期は、酒がいけないんだと思っていました。飲んじゃうからイライラするのだと。昨年は晩酌を減らし、1か月に3晩から5晩くらい軽く飲むだけにしておこうと。身体の健康のためではなく、精神の安定のために酒を控えようと思い立って、即日実行したわけです。酒さえ飲まなければ瞬間湯沸かし器のようなイラつきも抑えられ、のどかで平和な山本一郎の実現という半世紀弱待ち望んでいた自分改革が完成するのではないかと期待感をもって大節酒してみたのであります。