昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

吉岡里帆が語る「グラビアのお仕事のこと」

テレビっ子・吉岡里帆さんインタビュー #2

吉岡里帆の「上京物語」

―― 実際に舞台に立たれたのは、その劇団の舞台だったんですか。

吉岡 そうですね、1年経ったくらいに新しい劇団が立ち上げられて、その第1回公演の主人公をやってほしいと言われたんです。

―― いきなり!

吉岡 そう、いきなり(笑)。今でもその時に声をかけてくれた演出家の女性とは仲良くしてます。難しいセリフを発する喜びみたいなものを教えてくれた人がその人かなと思いますね、今思うと。

―― その後、東京の養成所に通われるじゃないですか。なんで東京だったんですか。

吉岡 それはすごくシンプルな理由なんです。やっぱりどのテレビ観ても、どの映画館に行っても、東京で作られているものばかり。京都のエキストラも続けてたんですけど、やっぱり東京いかないとだめだなという感じはすごくあって。

 

―― そこでのレッスンは、どういうものだったんですか。

吉岡 基本全部やる場所でした。発声、芝居、ダンス、歌……。とにかくあらかた広く浅く教えてくれました。それで私はやっぱりお芝居したかったので、お芝居の科目をたくさんとってました。実際に上映された映画の台本を演じてみたりとか、そういうレッスンでしたね。

「めちゃくちゃ働くから、仕事をください」それが20歳の頃

―― 現在の事務所「A-Team.lnc」に入られた経緯は?

吉岡 養成所には何千人と所属生が全国から来ていたんです。だから、このままでは、埋もれてしまって抜け出せないということに2年目くらいに気がついて。それで、当時担当してくださっていたマネージャーさんというか、管理人さんみたいな人に、なんとか俳優を育ててくれるような事務所に入りたい、養成所と連結していたA-Teamのマネージャーさんに会わせてもらえないかってお願いして。それで映画の『ホットロード』のオーディション、私は1次で落ちちゃったんですけど、その日にマネージャーさんに会わせてもらって。近くのカフェで、私やっぱりお芝居したいし、オーディションを受けたいから、事務所の社長に会わせて欲しいってお願いをしたんです。

 

―― おぉー。ドラマみたい(笑)。

吉岡 「じゃあ目の前で、『ホットロード』の台本、今ここでやって」って言われて。めっちゃ人いるのに。

―― えーっ!

吉岡 ここで? みたいな。でも仕方がないから、お店の中で大きい声でそのお芝居をして。そうしたら「いける。会わせよう」と。

―― じゃあ上手だったんですね。

吉岡 いや別に上手とかじゃないです。たぶん熱意。度胸と熱意だったと思います。それでその日の夜に、「オーディションが1個あるから受けてみる?」って言われて、それが通って。その後も片っ端からオーディション受けたんですけど、受かっていくんですよ。ついに社長に直談判できる時が来て「ここの看板女優になるから、お願いだから私を今すぐここの事務所に入れて下さい」って。

―― おぉ、すごい!

吉岡 「めちゃくちゃ働くから、仕事をください」ってお願いをしました。事務所には正式に入れたんですけど、それが20歳の時だったと思います。

なんでベートーベンがあるんだろう?