かたちも色も、かくも削ぎ落としてシンプルにできるものなのか。画面の中にあるのは、ほんのわずかな線と色彩だけ。それなのに一見して「ああ、アリだ」「ネコだ」「カメだ」「こっちは堂々たる山だ」と、どの絵を観てもしみじみ納得させられてしまう。
どの作品からも、描かれた事物への作者の情愛がそこはかとなく漂い出ているのも強く感じ取れる。それで観る側も会場にいるあいだずっと、知らず微笑みを湛えてしまっていたりする。
どこまでも幸せな気分に浸れる展示が、東京国立近代美術館で開催中。「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」。
アリの歩き出し方がわかるほど、観察を続けた
花や虫、猫、たまには風景などを、極限まで単純化した形態にして描く。それが熊谷守一(1880~1977)の最もよく知られた画風だ。ほとんど抽象画かと思うほどに要素を最小限まで切り詰めるのは、描く対象の本質をわしづかみにして、エッセンスだけを描こうとしているから。
たとえば《ハルシヤ菊》と題された絵。無数の花弁を持つはずの菊の花が、茶と黄の二色で塗りつぶされている。背景も深緑と地面の茶色の二色。単純そのものだけどなんとも愛らしく、そよ風を受けて花々が小さく揺れているさますら想像させる。
《雨滴》という作品もある。沈んだ土色の中に、白い粒々がランダムに置かれている。水たまりに落ちて跳ね返る雨粒を描いたのだという。そう言われてみれば、「この感じ、よくわかる!」という気がする。一つひとつの雨粒が躍動感に満ちて、チャプチャプという音まで聴こえてきそう。
菊なら菊の、雨粒なら雨粒の本質らしきものが、画面の中にゴロリと描き出されて存在している。熊谷守一はなぜかくも枝葉を徹底的に削ぎ落として、中心を成す幹だけを的確に取り出せるのだろう。画力ももちろん必要なのだろうけれど、ポイントはおそらく絵筆を持つ前の観察力にある。
50代になって東京近郊に家を持った守一は、長年、敷地から一歩も出ずに飽きなかった。多くの時間は、家の庭で過ごした。そこでもっぱら植物や小動物を観察したのだ。こんな彼の言葉が伝わっている。
「地面に頬杖をつきながら、蟻の歩き方を幾年も見ていてわかったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すんです」
絶句してしまう。アリの歩き方を何年にもわたって見続けるとはどういう心境か。そうしてアリの歩き出し方の法則まで見つけてしまうとは、なんたる観察眼か。
これほど徹底して事物を見ることが、はたして絵を描くための行為だったのか、それとももっと純粋な好奇心や彼の性向によるものか、それはわからない。いずれにせよ、想像を絶する観察の積み重ねが、究極に単純化されつつ本質を突いた絵画を生む素になったのは間違いない。
仙人のような風貌に、理知的な精神が宿る
《ハルシヤ菊》や《雨滴》、また代表作のひとつと目される《猫》といった作品を守一が描いたのは、70歳を過ぎてからのこと。これらシンプルな画風は、97歳まで生きた守一が晩年に至り完成させたものだった。
一大回顧展の様相を持つ今展では、単純な線と色で描かれた代表的作品の数々とともに、若いころの絵画も豊富に観られてうれしい。
《某夫人像》などは雰囲気のある肖像画で、守一のデッサン力のたしかさをよく示す。影の部分を黒ではなく何らかの色で表現しようとの試みも見られ、色彩に対する高い関心と実験精神を感じさせる。
仙人のような風貌から「素朴な絵描き」とのイメージも強い熊谷守一が、探究心の強い理知的なアーティストでもあったことが、展示からよくよく読み取れるのだった。