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吉田兼好の経歴はウソ。500年に及んだ捏造劇が明らかに

本郷恵子が『兼好法師』(小川剛生 著)を読む

2018/02/18
『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』(小川剛生 著)

「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて」と書きおこされる『徒然草』を、国語の授業などで読んだことがある人は多いだろう。試験に備えて、「『枕草子』は清少納言、『徒然草』は吉田兼好」と作品と作者の組み合わせを暗記したこともあるかもしれない。だが本書の帯には「『吉田兼好』は捏造された」と、かなり刺激的な惹句が記されている。

 人物研究において、まず依拠すべきは系図である。兼好の名は、神祇官に仕えた卜部(うらべ)氏の系図のなかで、吉田神社の神主を兼ねる吉田流の一員として見えており、「蔵人・左兵衛佐」という官歴も記されている。この情報にもとづいて「吉田兼好」と呼びならわされ、官歴と作品の内容から、彼の生活圏や人物像が推測されてきた。

 だが本書はその系図が吉田兼倶(かねとも/一四三五~一五一一)による偽作であることを示す。兼倶は自身が構築した神道の体系の権威を高め、吉田家の家格の上昇をはかるために、当時知名度の上がっていた兼好を一家の系図の中にとりこんだ。系図に記載された兼好の父や兄弟などは赤の他人、官歴にも根拠はなく、吉田家に箔をつけるために、いわば下駄をはかせたキャリアを書き込んだものだという。これまでの伝記研究は、ニセモノの系図から出発して、兼好の人物像を組み立てていた。系図が否定されれば、別の方法を探らなければならない。さらに著者は、作者と作品とをいったん切り離し、作品の外部から作者に迫ることが必要だと指摘する。

 というわけで、五〇〇年以上にわたって捏造され、歪曲されてきた兼好像をリセットし、彼が生きた鎌倉時代末〜南北朝期の史料に拠って、その生涯の軌跡を描くのが本書のメイン・テーマである。

 国文学者の著者は当時の政権や社会の構造を適切に踏まえたうえで、兼好が登場する史料を探索し、丁寧に読み解いていく。歴史的背景を歴史学者以上にわかっているどころか、歴史学者が知らなかったことまで明らかにしてしまうのが著者のすごいところで、兼好の生きた姿が鮮やかに立ち上がってくる。

 出家前の若き兼好は、北条氏の一門である金沢氏に仕えて右筆(書記)をつとめ、京都と鎌倉を行き来していた。金沢文庫所蔵の古文書には「卜部兼好」の署名がのこり、さらに彼の通称が「四郎太郎」だったこと、母や姉の動向まで知ることができるという。鎌倉幕府滅亡後には、室町幕府の要人に接近して重宝され、晩年には歌人として名を成し、死の直前まで四つ目の勅撰集への入集に執着していた。調子が良くて、どこにでも顔を出し、未練がましいところもある人だったのだろうか?

 著者は、兼好の「遁世」の意味についても再定義する。彼の遁世とは世を捨てて悟りすますのではなく、むしろ身分や礼式にとらわれない非公式の領域に属する者として才覚を発揮し、有力者の庇護を得て生き抜くための方便であった。

 本書によって私たちははじめて素のままの兼好を知り、自由な気持ちで『徒然草』に向うことができるといえる。同時に、兼好自身の「遁世」と、作品の随所で語られる無常観との関係を検証しなおさなくてはならないだろう。

 それにしても、吉田兼倶に対する著者の評価は「デタラメ」「ペテンそのもの」とまことに厳しい。兼倶も草葉の陰で恐縮していることだろう。当の兼好は、知らんぷりしてにやにやしているだけかもしれないが。

兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実 (中公新書)

小川 剛生(著)

中央公論新社
2017年11月18日 発売

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