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《ジャニー氏がベッドに入ってくる感触で目が覚めた》元ジャニーズJr.二本樹顕理さん(39)が13歳当時の性被害を実名告発

《ジャニー氏がベッドに入ってくる感触で目が覚めた》元ジャニーズJr.二本樹顕理さん(39)が13歳当時の性被害を実名告発

「ルポ男児の性被害」連載

2023/05/13

source : 文藝春秋 電子版オリジナル

genre : ニュース, 社会, 芸能

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KinKi Kidsのコンサートにいきなり出ることに

 1983年に生まれた二本樹は、マイケル・ジャクソンが好きな小学生だった。母親とともに来日公演に行って、「自分も歌って踊れるアーティストになりたい」と夢見た。11歳頃から劇団に所属していたが、中学へ進むと、日本で歌って踊れるアーティストを養成する代表的存在だったジャニーズ事務所へと自ら履歴書を送った。

 1996年夏。ジャニーズ事務所から電話があり、オーディションを受けることになった。母親に付き添われて六本木の会場へ行くと、最初に踊りのグループ審査があり、続いて面接を受けた。そのオーディションがジャニーとの出会いだった。見た目は「普通のおじさん」だったが、審査のやりとりを見ているうちに「ひょっとしてこの人がジャニーさんかな」と気づいた。

 それから1カ月もたたないうちに、男性の声で電話がかかってきた。日時とともに「ここに来て」と伝えられた。

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「KinKi Kidsさんの横浜アリーナでのコンサートでした。そこに私もいきなり出ることになって。KinKiさんがパフォーマンスをしている後ろに、Jr.たちが座るセットリストだったと思います。それで自分がオーディションに合格したことを知りました」

ジャニーズJr.時代のポスター。右上が二本樹さん

 入所すると、Jr.のレッスンに参加するようになった。会場には必ずジャニーがいた。

「Jr.のいるところに常にジャニーさんがいるという感じで、日常的に接点がありました。ジャニーさんはレッスンの様子を見ていたり、Jr.と談話したりする。話の内容は他愛もない日常会話が中心でした。ジャニーさんは口数が多い方ではないし、怒鳴るようなこともありません。ただ、個人的には話しやすいとは言えなかったです。現場にいるすべての人が口答えせず、常に顔色を窺っているような緊迫した空気があったからです」

 二本樹からしたら怖い振付師の男性も、ジャニーの前に出るとおとなしくなった。事務所社長の権威を目の当たりにするようだった。

 もうひとつ当初から感じていたのが、ジャニーが自分の近くによく来ることだった。

「あそこの事務所の社長って同性愛者なんだよ」

「他の子より話しかけられたり、体が接触する感じで隣に座ってきたり肩を組んできたりという距離の近さはありました。ちょっと違和感はありましたけど、まあいいかと。こういう接触に対して抵抗しない子がどんどん“お気に入り”になっていくのかもしれません」

 当時の二本樹はジャニーにまつわる性的な“噂”を知っていたのだろうか。

「入所時に、学校のジャニーズ好きな女子から『あそこの事務所の社長って同性愛者なんだよ』と聞かされました。ただ、当時の私は性的なことはまったくの未経験。それを聞かされても、男の人を好きな男の人という程度のイメージしか湧きませんでした」

 入所して3カ月が経つ頃には、日々のスケジュールはジャニーズのレッスンや仕事で埋まるようになっていた。平日のレッスンは、学校が終わる夕方から始まり、午後10時までには解散ということになっていた。週1日ほど休みはあったが、土日にも仕事が入る。やがて後述するように、宿泊をジャニーから申し渡される日も出てくるようになる。

「建前上、未成年者は学業優先ということでしたが、子どもがこなすには無理がありましたね。授業中は仕事の疲労から寝てしまい、勉強についていけなくなって先生に怒られました。さらに芸能活動が同級生に知られていじめられるようにもなりました。がんばって学校に行っても、居場所がないんです。結果として不登校ぎみになっていきました。忙しいJr.の多くは同じような状況に直面していました」

 折しも「Jr.黄金期」と呼ばれるブームが到来していた。従来、Jr.はデビュー前のレッスン生であり、バックダンサーが主な役割だった。しかし1990年代後半あたりからJr.全体が注目されるようになった。アイドル雑誌『Myojo 明星』ではJr.の大型企画が組まれるようになり、テレビでは冠番組『愛LOVEジュニア』(テレビ東京系)の放送が開始された。Jr.が表舞台に出る機会が飛躍的に増えていく時期にあったのだ。

 もっとも、当時100人はいたというJr.全員が多忙だったわけではない。

「同じJr.でも、待機生と呼ばれる子たちがいるんです。たまにレッスンに呼ばれるくらいで、基本的に番組出演などはない。ダンスでも後方に置かれることが多かったです」

二本樹さん ©文藝春秋

先輩は「行ったらジャニーさんに食われるぞ」

 秋が深まる11月頃の夜だった。

 平日のレッスンの終わりに、二本樹はジャニーからこう声をかけられた。

「ユー、今夜泊まっていきなよ」

 その言葉が“合宿所”と呼ばれる部屋に誘う決まり文句だということは、先輩たちから聞いていた。合宿所へ行くのを避けていた先輩からは、「行ったらジャニーさんに食われるぞ」とも忠告された。しかし二本樹の目には、合宿所へ行かないJr.と行くJr.では、明らかに露出機会に差があると映っていた。忠告してくれた先輩はなかなか活躍できていなかった。

 二本樹はジャニーの誘いを「通過儀礼のようなもの」と受け止めたと振り返る。

 レッスン後、同じ中学1年生のJr.と一緒にジャニーの車に乗ると、東京全日空ホテル(現・ANAインターコンチネンタルホテル東京)のツインルームへ連れていかれた。Jr.がそれぞれにあてがわれたベッドに入ると、ジャニーが消灯し、二本樹は一旦眠りに落ちた。