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「祐大は今年絶対活躍しますよ」っていろんな先輩が言ってくれて…ベイスターズ・山本祐大の父が語ったチームと息子への思い

文春野球コラム クライマックスシリーズ2023

2023/10/20
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「祐大のおかげです」

 東投手のこのセリフを、今シーズン私たちは何度も聞くことができた。同期の1人として、これ以上嬉しいことはない。さらに嬉しいのは、東と祐大のお互いを讃えあうやり取りが、親御様の間でもなされていることだ。それを教えてくれたのは、今回お話を伺った祐大パパ、山本芳仁さんである。「東さんがお立ち台でいつも祐大のおかげって言ってくれるし、東さんのお父さんも『お陰様で……』と言ってくれるので、『いやいや、東さんのおかげでおかげです』ってやり取りをしてるんですよ」なんとも微笑ましいやりとりを教えてくれた。今回はそんな祐大パパと振り返る、山本祐大のここまでの軌跡のお話。

山本祐大(右)と東克樹

NPB入りを実現させることだけを考えた決断の連続

 山本祐大という男。プライベートでは、いじられキャラのお手本みたいな振る舞いをする彼の姿を今でも鮮明に思い出せる。細川成也にちょっかいをかけては、よく追い回される彼の姿を何度も目撃したのが昨日のことのようである。しかしその一方、野球となると人が変わる。

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 祐大パパから見た祐大について聞いてみると「とにかく真面目。普段はいじられキャラでしょ? ただ野球になると本当に真面目。いじられキャラから急に周りを引っ張っていくタイプに変わる。何より野球が大好きなんですよね。子どもの頃は、グローブつけたまま寝てましたから(笑)」とのことである。とにかく野球が好き。それはベイスターズに入団する以前から何も変わっていないのである。

 私が初めて祐大を見たのは、当時のBCリーグで対戦した時のことだった。祐大は滋賀球団に途中入団してきたのだが、その経緯にあったのは、NPB入りを実現させることだけを考えた決断の連続だった。

 祐大パパに当時の話を伺うと、「最初は大学野球をするつもりで、県外の大学に入学予定やったんです。野球部の練習が2月1日から始まったんですけど、祐大は2月4日に新大阪に帰ってきたんです。あんまり早く帰ってきたんで『いじめられたんか?』って聞いたら、まさかのその逆で、『みんなが優しすぎる』って言うんです」。

 当然、その後の進路について家族会議が行われた。その大学の環境が良い悪いではなく、祐大が求める理想の場所ではなかったというだけで、祐大の目標は変わっていない。そうは言っても、親として不安な事もあったのではないかと問うと「なんも不安はなかったですよ。諦めつくまでやり切らせてあげるのが、親の仕事やと思ってましたんで。そのために、環境を整えてあげやなあかんなって思ったくらいですね」と当時の心境を教えてくれた。

「外野手でドラフトを勝ち取るのは無理やろって」

 実家に戻ってから次の進路が決まるまでの間、祐大は以前所属していたシニアのグランドで、中学生と共に汗を流した。その期間の途中からは、母校の高校でも練習に打ち込んだ。練習後は遊ばず直帰するという父との約束も、当たり前のように守った。当時から祐大は本気だったのだ。本気で打ち込むことの大切さ。打ち込める環境があるありがたさ。それを背中で教えたのも、また祐大パパだった。

「2月に祐大が帰ってきてからしばらく、自分の仕事場に連れて行きました。俺はこんな仕事しとるぞ、やりたくない事もたくさんあるんやぞって事も伝えたかった。そこで男同士の話もしました。なにをするにしても、強制してやらせるのは嫌いやったんで、やりたいことをやって欲しかったんです。ただ、決めたならとことんやれ、野球やるんなら本気でやれと。それが伝わればええなって」

 そんな日々が続いたある日、BCリーグの滋賀球団がテストを受けさせてくれることになった。当時の滋賀球団の監督である上園啓史氏と祐大パパが知り合いだったことが、願っても無いチャンスに繋がった。そのチャンスを見事にものにした彼は、入団後、大きく勝負に出る。入団以前の祐大は外野手をメインとしていたが、入団してからは捕手として活躍することになる。「外野手でドラフトを勝ち取るのは無理やろって。だからキャッチャーで勝負しろって本人に話しました。本人もキャッチャーをやりたいって言うてました」と教えてくれた祐大パパ。山本親子の戦略は、結果的には大成功となったのだ。

 独立リーガーとなった彼は、早々に頭角をあらわす。登場曲の『ドラえもんのうた』に後押しされて打席に向かう祐大。『ドラえもんのうた』は素敵な歌であるが、野球選手の登場曲として使われていることを考えると、おそらくこの選手はいじられキャラなんだろうなと思わざるを得なかった。そして体も細い。うち(私が当時所属した石川球団)のセットアッパーなら余裕で抑えるだろうと、そんなことを思いながら試合を見ていた。

 しかし、気がつけば打球はライトスタンドへと消えていた。「なんなんだこの選手は」と、そんな気持ちでいっぱいになった。そしてそれはマグレでもなんでもなく、彼が積み上げてきた実力の現れであった。事実、入団から約半年後、彼はベイスターズからドラフト9位で指名され、晴れてNPBの選手となったのだ。

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